ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

より平和嗜好への品種改良は可能か?


家畜やペットは
人間の好みにあわせて改良される


人間は
社会の好みにあわせて改良される
・・・のかもしれない
そこで
社会に好みがあるのか?
あるとすればどんな好みか?
少し考えた


個人の本能より
社会の決まりを優先する気質を
社会は好むかな、、、、
例えば
戦争のとき
殺したくないと思いつつ
敵を殺したり
死刑執行をしたくないのにしてみたり
ころしたくない動物を殺す仕事があったり
いやなことでも
命令されると逆らえない弱さが個人にあって
社会が回る
そんな個人の弱さも社会の好みかな


こんな個人の弱さが備わって
社会が強くなったから
原始人より
現代が強くなれたのかもしれない
そう
現代人も原始人も
それなりにやさしい猿だけど
優しいばかりでは生きてゆけなくて
社会のせいにして冷酷になったりしながら
現代人が進化してきたのかな


誰かのせいにして
ひどい事も躊躇なくできるようになって
得をかすめ取るようにして
少しずつ進化してきたのかな


社会に歪められ
ないがしろにされたやさしい本能が
残忍になった現代人を
事後
時を隔てて
原始人に先祖返りさせ
後悔の海へと突き落とすことがある


哀しいことです


ーーーーー
メモ


社会に奉仕することは
人間として素晴らしいことには違いない


ただ
残忍すぎる人間を育てるのも大きな集団社会だ
だから
地球に残酷な生き物にまで社会が成長した暁には
社会が少し弱くなって
人間の原始的なやさしい本能がもっと躍動して
やりすぎない社会になった方が良いのかもしない


残忍すぎる人間ばかりを
社会が育てるのではなく
とても優しい
ともすれば優しすぎる人間も
大きな集団社会の中で育まれるのだから
優しい人間ばかりを誘導する社会があれば
ありがたい


人がとても優しくなれる大きな集団は
どうすれば育つのだろう、、?、、?、、


こんな社会を持続的に設計できたら
ノーベル平和賞をもらえるかもしれません


世界中の人全員がこの平和賞を目指して
日々考えつづければよいのでしょうが、、、、
私の胸に手を当てて考えるに
このような理想は
社会の欲望に抑圧されて
あえなく優先順位を落とし
何かの陰に隠れてしまいそうだ


・・社会が誘導する
  繁栄のための優先順位に
  何か大きな罠があるのだろう・・


このまま
所属する社会が優位に立つことへの執着が
平和や幸せに優先してしまう悲しいサガを
人間はいつまでも
背負い続けてゆくのでしょうか?


力強く生きてゆくために
助け合うという崇高な名目のもと
時として
凶暴で凶悪な本性をも
白日のもとに曝し続けてゆくのだろうか


「個人を集団の犠牲にしないこと」


この困難な課題を
理性が否定したくなる傾向性が存在する
この傾向性を
理性により再否定しぜるをえない仕組みが
求められよう

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