ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

芯としての言葉にならない世界


健康のために運動する


運動しながら
「いやだ」「いやだ」が頭の中で連呼する
そして
それに呼応するように「がんばれ」「がんばれ」と
自分を鼓舞する


いやなことをしている時
色々な
声にならない声が
頭の中で響く


この声の主は私であり
日本語を流ちょうに話している
しかし
声にならない声を聞き
それを日本語に翻訳している私がいるから
流ちょうな日本語を話しているのだろう


声にならない声を上げている私がいて
その私の声を日本語に翻訳している私が別にいる
そんな感じだ



オーケストラの音楽は
たくさんの楽器の音が重なっている
ある楽器の音に集中して聴いていると
他の楽器の音は
聞こえるともなく聞こえている状態になる


私の中に鳴り響く
たくさんの声にならない声のなかから
どれかの音を聞き
その音を日本語に翻訳する私がいるから
さっきまで考えていたことを
思い出せなくなってしまう


様々な声がある
どれも本物の言葉にならない声たちだ
何を聞き
どう日本語に訳すのか
その過程で
様々な代案が
言葉にならない世界の周辺を闊歩する


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メモ


心理学によると
「ボタンを押す」と決断する少し前に
ボタンを押す動作は始まっているらしい
意識の決断は動作が始まった後であり
意識は決断に関与していない可能性があるという


しかしどうだろう


「ボタンを押す」と決断するということは
『「ボタンを押す」と決断する』という
声にならない声を母国語に翻訳した結果であろう


この翻訳する時間がある分
決断した時から
決断したと判断するまでの間で
タイムロスが生じることになる


言葉になった理性的な意識というものは
かように加工され翻訳された世界であり
その内側にある言葉にならない世界に
遅れて動いている世界と考えると合点が行く


言葉の世界の思考が
また元の
言葉にならない世界へと戻ってゆき
そこで決断があり
その決断が
意識の世界で翻訳される
このように考えると
意識が決断を促し
その結果が言葉にならない決断であり
それが運動として実践されながら
意識において決断が日本語に翻訳されるのだ



言葉にならない世界があり
異なる言語を話す人の間で
共感や現象も理論も
言葉を翻訳しながら
話し合うことができる


理性の芯も
言葉にならない世界の中にある


言葉が先にある世界は
この
言葉にならない世界を
支配しようとするから
先に言葉を置きたがるのだろう
しかしそれでは
世界は広がることはないだろう
言葉に描いた
年頭の今年の目標は
たとえば「毎日運動をする」
この言葉の実践は
破られることなく継続するだろう


言葉にならない世界が芯にあり
その芯により
世界は広がり
言葉は
意味を持ち
あるいは空になる


色と空とを表裏一体の世界として連ねる芯が
言葉の世界の内側に存在している

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