揺れながら流れる時代のはざまの涙
中世の終わりには
啓蒙思想により
キリスト教社会の秩序が見直された
そして
啓蒙思想は
男女の分業の秩序を見直し
男性らしさ
女性らしさを強要する圧力を弱め
LGBTを肯定し
結婚制度も
古い伝統になってゆくような様相だ
苗字もやり玉にあがるようになるのかもしれない
枠にはめ
枠にはまり
安定していた秩序を見直し
再構成する
自由平等の基
社会としての統一性よりも
どこまでも個性を重視してゆくのだろうか
はまるべき枠が細分化され
多様な秩序が混在し
複雑な社会になってきた
綿密に表現するために
言葉が増えてゆくように
社会が複雑になってきた
たくさんの単語を覚えるのは
難しく根気のいる作業だ
個人が尊重されるなか
全体の生きづらさが増してく
人間の能力がこのままのレベルであるならば
どこかで流れの反転があるのだろう
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メモ
コンピュータソフトの機能が
多様化して
いろいろできるようになり
利用者の要望がたくさんかなえられるようになった
その反面
機能が増え
やりたいことをやるために
たくさんの知識を
ソフトに応じて学ぶ必要が出てきた
この学習能力の差が
そのソフトの便利さへの評価の差となって現れる
一般的に
若い人ほど
様々な新しいソフトに対応して
それを使いこなし愉しんでいるように見受けられる
・・・年寄りの僻みかもしれない
いずれにしても
男は戦争に行くものだ
女は子供を産み育てるものだ
そんな画一的な大きな枠は
次々と復興してきた小さな枠たちに居場所を取られ
肩身の狭い思いをしているようだ
人間には
多様な生き方の潜在的な枠が用意され生れてきた
その潜在的枠の中から
具体的にどの枠に誘導して行くのかが
社会の個性だ
具体的な枠を何すべきか?
この疑問の答えが
さまざまに揺れながら時代が進み
その揺れ幅のはざまの中で
葛藤が繰り返される
そのなかで
当然のように
思考の具体的実践である現実においても
様々なはざまが広がり狭まり様々な存在を伸縮させる
高気圧が通過すると
低気圧がやってくるようなものだ
そして
前線も通り過ぎる
涙は我慢したほうがよい
それでも
我慢できない時には
流れるがままにしておけばいい
それが今の時代を
少し
洗い流してくれるだろう