ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定調和の予行演習


九九を習ったのは
小学校の低学年だったろうか


先生に続いて復唱した
確認テストもした


間違えてばかりで嫌になった
覚えてスラスラとそらんじている学友が恨めしかった


もとへ
それ程うらやましくもなくどうでも良かったので
怒られてもどこ吹く風であった


そんなありさまを
父親にひどく叱られ
おかげで
遅々ながら
5年生ころに何とか覚えた


それからは勉強一筋
ということにしておきたい


ともあれ
覚えなければ始まらないことがたくさんある
根拠とか理由とかは二の次でひたすら覚えさせられる
どうしてそうなるの?
それが気になり覚えなけらば先に進めない


素朴な疑問は
教える側からすれば難題だ
覚えてから覚えた意味が身に染みるから
覚える前に聞かれても
いいから覚えろ
そういういう権威主義についつい陥る


このようなジレンマを乗り越え鍛錬して
オーケストラが美しい音色を奏でてくれる


この音の次になぜこの音なのだろう?
作曲者がそう決めたから
それだけで足りるだろうか?
いちいち論考していてはだめだ


演奏してみないといいかどうかわからないものを
考えていてもらちが明かない
ただやみくもに設計通りに音を出す
それを繰り返して行くうちに
予定調和の世界を体現する


実践した結果が理由なのだ


九九も同じだろう


同じルールを皆が持つ
その理由は
実践した後に見えてくる


食わず嫌いではいられない
それが社会参加のチケットなのだろう


ーーーーー
メモ
オーケストラが演奏直前に
個々バラバラに音をだしている
その光景が好きだ
本場の予定調和に向け
個々がそれぞれのパートを調和なく予行している


何かが始まる前の胸騒ぎはこんな様子の反映だろう


ありがとうございます。

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