ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

平等や不平等の「ゆるさ」


「平等である」方が
「不平等である」であるより
良いことだと思っている


しかし
だれもが
工業製品のように
人間が全く寸分の狂いなく同一であったらいい
などと思っていないだろう


工業製品のように
人間にも規格があり
その規格から外れた人間を不良品と称して
出荷しない
こんな風には考えない


「平等」「不平等」には「ゆるさ」がある


この「ゆるさ」を無視して
「平等でない」「不平等だ」と
「違い」ばかりを強調して
声高に叫ぶと
品位がないと思われる


時代により
ゆるい分野と
ゆるくない分野が変遷してゆく


時代にあわせた「ゆるさ」を
身に着けるのが品格なのだろう


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メモ


工業製品の部品は
その規格により品質管理され
他の部品との調和が図られている


規格が厳しければ厳しいほど
調和が保たれる


厳しい対応をされ
捨てられることになったとしても
決して文句を言わない物質だから
このような厳しい管理ができる



全体は
管理された部分の総体として現れる


画一的な植林地のような山林もあれば
自生してきた原生林もある


個性を強調し合いながら協調することも
個性を隠しながら協調することも
社会の協調だ


様々な管理があるということだ


多彩な管理が
様々な協調を生み
部分と全体がバランスを取りながら
緩やかに
ときに厳しく
結びついている


だから
部分は
全体の管理が厳格すぎれば
「平等ではない」と品位を顧みずに
文句を言わなければ
部分と全体のバランスが崩れ
社会の健全性や公平性にも
「歪み」が出るのだろう


このように
品位のない全体に対しては
部分も品位なく対応しなければならない
そして
この反射効のように
品位のない部分に対しては
全体も品位をもって対応してはくれないのだろう


このように
品位が品位を来たし
下品と下品を来しながら
調和がすすむ
こうした共進化により
程よい予定調和が形成されている


品位を確保するためには
表面的な下品が必要とされているのだ


やると時にはやる
怒る時には怒る
表面的な品位を失っても
やる時にはやらなければ
「歪み」の中に押しつぶされて
社会の持つ「ゆるさ」を
確保することはできぬのだろう


いい顔ばかりが品位ではない
厳しいばかりが品位ではない
生き易さに必要な「ゆるさ」を
どこまで確保し
どこまで制限して社会と付き合うのか


個人に課せられた重要な課題のひとつだ

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