ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

「あした神があった」を論考してみる


「あした神があった」


この文章には違和感がある


「あした神がある」
「きのう神があった」
これらの文章が
「あした神があった」を
いじめて排除しようとするからなのだろう


この違和感があるから
私も
「あした神があった」をいじめて排除する


「あした神があった」がなくなるまで
わたしたちは
「あした神があった」をいじめ抜き
排除してきた
そしてこれからも
排除し続けてゆくことだろう


そのことにより
それにより守られる秩序が機能する


ーーーーー
メモ


未来の時節に
過去形の動詞を使用できない


言葉たちも
決りを守らなければならないということだ


慣習法だ


きちんとした憲法のような法源があり
演繹されてきた法律ではない
経験則による帰納法になじむ法律だ


「真夏の暑い日に
 分厚いコートを着てはならない」
そんな
聞く人聞く人が
みなそれは正しいと繰り返し回答される事柄が
慣習法として成立してゆく


「別に
 真夏の暑い日に
 分厚いコートを着てもいいじゃないか」
そんな自由は排除されながら
慣習法が成立してゆく


成文法のように
権力による強制がなくても
成立している慣習法が
相互監視により
その正当性を維持している


個々の賛同と排除の
自然発生的な多数派形成により
成立してゆく秩序である


この慣習法のもとで
自由が機能的に排除される
  はたして
  どんな不自由が便利だろう?
  どんな不自由が都合がよいだろう?
集団が試行錯誤を繰り返している


この試行錯誤の波に乗らなければ
私にも
自然淘汰の排除圧が降りかかる



「あした神がいた」
・・・言葉たちも
   たまには自由の中で遊びたいだろう
   羽を伸ばしてみたいのろうに


大型連休が終わってしまった
これから始まる規制だらけの日常を想像しながら
このように言葉たちに同情してみたくなる

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