ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

共進化してきた存在たちの存在意義


生きるということの負担を
誰が負うのか?


生きているものが
それぞれこの負担を負えば単純明快だ


ところが
この問題をとても複雑にしている生き物が
人間だ


一般に
親が子を養い
子が成長するのだが
幼形成熟した人間は
親も社会に養われている
いわば
養われながら養うようになってきた


分業がこの表れだ


それぞれが
それぞれの恩恵を社会の持ち寄り
それを分配し合う


だから
大人も
大人の側面を持ちながら
子供の側面を持っている


このように
生きる負担を分け合い助け合うようになったので
ひとりで森の中では生きられなくなってきた


異常のように
人類の歴史の中で
生きる負担と
生きる権利の分離が進行してきた
そのなかで
生命が持つ利己主義が
先祖返りしながら先鋭化して
負担については棚に上げ
権利の主張合戦が勃発したりする
これが
さまざまな配分を巡る社会問題だ


このような社会問題に対応するために
さまざまな調整が試みられ
うまく機能する調整が善きものとして
人間と共に歩むことになった


このような調整たちも
人類の友愛とともに存在し
人類の歴史を人類と共に歩んでいる


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メモ


単細胞生物は
細胞の単位で
生きる負担と生きる権利が一致している


ところが
多細胞生物になると
細胞の単位で
生きる負担と生きる権利が分離している
多細胞生物の細胞を
身体から分離し
生身の自然の中にさらすと
たいていの場合死んでしまう


細胞たちが
それぞれの機能を分担する
分業の体制があり
この業間で様々な調整が成されている
この調整が
うまく機能してはじめて
それぞれの細胞が
生きてゆけるようにできているのだ


機能の分化
機能の高度化
機能間の調整
この三つがうまくあいまって
システムが機能する


調整機能がうまくいかない社会は
機能の分化も高度化もうまく進まない


このような共進化の中で
さまざまなシステムが駆動している


だから
共進化のギアに狂いが生じてしまうと
空回りがはじまり
それぞれの部品の存在意義に
危機感が生じてしまう


身の回りにある
共進化してきた同輩に目配せが必要だ

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