ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

偏見による偏見のための偏見の恋愛


偏見は記憶の賜物だ


昨日、雨が降った
今日も雨だ
明日も雨だろう


記憶があり
帰納することができ
その帰結を記憶することで
偏見が育ってゆく


因果律は
偏見の体系だ


となると
アカデミズムは
分野ごと偏見を整理する試みということになる


理性は
偏見と向き合う能力と
心得ていたほうが
間違いも少なくなるだろう


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メモ


科学は
偏見の正当性を検証する場だ


いや
正当性ではなく
妥当性の検証だ


物質の動態を基準に
偏見の妥当性を評価するのが
自然科学であり
偏見の動態を基準に
偏見の妥当性を検証するが
人文科学という事になろうか?


人文科学は
偏見による
偏見のための
偏見の学問という事になりそうだ


さて
物質と偏見の相性をうまく取り持つ技術が
自然科学の技術であるところ
偏見と偏見の相性をうまく取り持つ技術が
人文科学の技術という事になるだろう


私が好きなあの人が
私を好いてくれれば
偏見と偏見の相性が良いという事になる


人間による
人間のための
人間の恋愛


物質という
気分よりも普遍性が高い存在との相性を評価する
科学の世界の方が
安定した結論を導けるが
どこか
味気ない


人の心の間の揺れ動く相性に
思考が傾斜するのは
どうしようもない
人間の性なのだろう


他者の心の中にある
偏見を
ついつい眺めてたくなる


そのことの方が
明日晴れるかどうかよりも
頑張れることにもなれるからだ


逆に
落ち込むこともあるけれど
だからこそ
頑張れることになれるのだろう

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