ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

個人的偏見と社会的偏見と自由について


偏見という存在は
個人的なこともあり
社会的なこともある


個人に宿る偏見が
個人的偏見で
社会に宿る偏見が
社会的偏見だ


個人的偏見は
蓼食う虫も好き好き
というところだ


社会的偏見は
民族主義や国家主義
県民意識
小さな社会でのいじめも
この社会的偏見に属するのものだ


社会的偏見は
個人を超えて存在する


個人が
同じ偏見を共有する構造において
社会的偏見が存在するという事だ


人は
魅力的な異性など
誰かほかの人の虜になる
高価な宝石や車など
何か素らしい物の虜にもなる
美しい山や海など
何か素晴らしい景色の虜にもなる
民族や主義主張、思想など
何か素晴らしい観念の虜にもなる


虜になり形成されてゆく偏見が
人間を動かしている


偏見が多い人間は
魅せられて
夢中になることが多い生き物ということだろう


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メモ


日本の祭りでは
しばしば
お神輿を巡行させる
御柱や山鉾、ねぶた、竿燈
人間より
たいそう大きなものを
人が寄り集まって
巡行させる


盆踊りは
大きなものを巡行させはしないが
皆が同調して行動する


多くの人が集まって
息を合わせて
何かを成し遂げる


この時
個人は
この成し遂げるべき何かの戦士になる


成し遂げるべき何かのしもべになるのだ


これは何も
祭りの時ばかりではない


言葉を話すという行為も
言葉のしもべになる行為だ


偏見を共有し
社会の中で
何かに奉じながら生きている


社会生活を送るためには
自由では居られない


しかし
人は自由を求める


個人的偏見と
社会的偏見が完全に一致していないから
個人的偏見が
ときに
自由を叫ぶのだろう


私が社会の中で暮らしているように
私の偏見は
社会の偏見に囲まれて
右往左往しているようだ

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