ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

偏見としてのルサンチマンと超人


寄らば大樹の陰とは
よく言ったもので
多数派の偏見に従えば楽である


偏見と揶揄されないので
その論拠を説明する必要がないからだ



少数派が偏見を主張するには
論拠を示さなければならない


そして
示しても
示しても
それでは足りないと
更なる論拠を要求され
それに答えられないと
「そらみろ」と多数派から蔑まれる


ひどい場合は
全人格が否定される


比べて
多数派の偏見は楽である
「昔からそうなっている」
「皆そう思っている」
「何がいけないの」
「なんとなく」
論理にもならない論拠が
根拠として
多数派が支持を広げる


ーーーーー
メモ


大樹は
それなりの理由があって
大樹として存続している


大きな木であればあるほどに
一つの理由ではなく
沢山の理由が噛み合って
はじめて
大樹として存続している


だから
大樹の根拠を説明しようとすると
一言では言い表せない困難さが現れる
そこで
こんな理由ある
あんな理由もある
そうそう
ああいったことも理由かな
などと
取り留めもなく
当たり前になっていることを列挙することになる


目新しいことの何もない
ごくありふれた理由が
次から次へと重なってゆく
面白くもなんでもない
そんなこと知っている
そんな話が延々と続くことになる
だからつまらない


これに比べて
少数派の偏見は
時に
目新しく見えることがある
一点豪華主義が
他の視点を盲目にして
全てが良いことのように思えることがある


普段は
全人格を否定されるが如く
虐げられる少数派が
時として
躍動する場合は
このようなケースだ


これが
次の時代の大樹の苗となる
どこまで育つのか?
いつまで魅力的でいるだろか?


いつの間にか
当たり前のつまらない偏見に
なってしまっているのかもしれない
それが
偏見の成長という事なのだろう

×

非ログインユーザーとして返信する