カメに追いつけないアリストテレス
言葉には
解釈としての意味的要素と
記号としての表現的要素があり
前者はアナログで
後者はデジタルだ
意味的要素ということでいうと
「あ」と発音したときに
驚きのこともあれば
「え」に近い疑問の意も入っていることもある
「ああ」といった納得の意も
「あ」で表現されることもある
表現的要素ということでいると
「あ」も「い」も「う」も
デジタルな表現だ
多少のニュアンスの違いがあっても
表現としては
「あ」「い」「う」に集約され
原則
「あ」と「い」の間に中間はない
このように
表現はデジタルでな性質に満ちているのだけれど
意味はとてもアナログであいまいなところがある
同じ「あ」が色々な意味に解釈されるように
「愛」にも色々な愛があり
「真実」という語からも
実にさまざまな意味が広がり
様々な意味が連続的に広がっている
*
一つの言葉に
様々な意味と使用方法があり
類似語辞典に見るように
一つの意味に対しても複数の言葉が存在する
意味と表現が網の目のように
関連付けられているという事だ
*
デジタルなインターネットの世界と
アナログな現実世界が
網の目のように複雑に関連付けられているように
言葉の表現と
言葉の意味も
大昔からインターネットを形成してきている
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メモ
「朝」という言葉から
「日の出」や「朝露」「鳥の声」、、、
さまざまなイメージが湧く
加えて
色々な朝に思いをはせることができる
つらい朝もあれば
心地好い朝も
希望に満ちた朝も
待ちに待った朝もある
それぞれの朝に名前を付けて
分類し
その特徴を記載してゆくのが
アカデミーの仕事だ
アナログな現実の一つ一つを
できるだけ細かく命名をし
デジタルな表現を増やすことで
アナログとデジタルの関係を密にする
このような学術的努力により
より厳密な表現をすることができるようになる
このような努力により
表現と意味の関係は厳密にはなってゆくが
専門用語が増えゆき
一般人が理解しがたい表現だらけになってゆく
1cm刻みのデジタルでも生活できるが
1mm刻みのでデジタル表記が必要な場面もあり
1μm刻みのデジタル表記が求められる世界もある
必要に応じて
言語は細分化され
より現実のアナログに近づけられてゆくのだけれど
どこまでも
デジタルはデジタルであり
還元を繰り返しても
アリストテレスは
カメに追いつけないということになる
*
アリストテレスと亀の話
先行しているカメを
アリストテレスが追いかける
亀は歩みが遅いので
亀とアリストテレスの間の距離は
半分ずつに縮まってゆく
だから
アリストテレスと亀の間の距離は
どんどんどんどん縮まるのだけれど
距離を半分づつ縮めてゆくこと
いくら繰り返しても
アリストテレスは亀に追いつけない
小さな距離を
どんどんどんどん
また半分にしてゆくだけだ
アリストテレスと亀の
この競争の定義はデジタルだ
デジタルは
アナログの連続性を近似させることはできても
いつまでも
不連続の中にいる
デジタルは
いつまでも
アナログにはなれない宿命の中にあり
言葉の表現がデジタルな厳密さを追求しても
その同じ言葉の意味は
アナログにこの厳密さを裏切ってしまうものらしい