ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

理性の塊の兄弟分としての宗教と科学


生きることは
反応の連続だ


見たものに反応し
聞いたものに反応し
触れたものに反応する
匂いにも
体の中か発せられる痛みにも
反応する


どこからともなく湧き上がる情動にも反応する


理性的な解釈を介しながらも
湧き上がる本能に反応する


理性的解釈自体も反応だ


思考をめぐらす時
言葉が次の言葉を紡いでゆく
まさに反応の連鎖だ


反応をしなくなった時
「生きているのか死んでいるのかわからない」
ということになる


より多くのことに対して反応すると
より確実に世界を把握できるようになる
より多くの言葉を知る努力も
より多くの反応をできるようにする努力の一環だ


生物の進化は
反応する能力の開発と取捨選別だ
理性の進化も
反応する能力の開発と取捨選択だ


言葉にたくさん触れ
必要な言葉を拾い
不要な言葉を捨ててゆく
こんな
言葉を操る能力の進化が
日々、それぞれの個人で繰り広げられている


言葉が創る
仮想世界の出来事


映像がもたらす架空の世界


こんな人工的なものに
うまく反応できるように理性を鍛える
そんな知性を
どんどん進化させてきた


そして
ともすると
現実世界が
このような仮想や架空を裏切ると
自尊心が傷つけられる


天災などの自然現象もさることながら
思うに任せない紛争を仕掛けてくる相手も
現実世界にあらわれてくる
だから
架空世界にばかり反応していては
うまく生きられないということになる


架空世界の儚さを
立証して補強してゆく架空世界が科学であり
架空世界の儚さを
受け入れて尽くしてゆく架空世界が宗教だろう
だから
同じ言葉の架空世界でありながら
両者の間には
深くて暗い溝ができてしまうのだろう
どちらも
りっぱな理性の塊なのだけれど
両者の間には
深くて暗い溝ができてしまうのだろう

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