ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

ホコリのような意識が集う場としての形而上


過去と
別の過去が
記憶の中でつながる


記憶がなければ
時間と時間はつながりながら
ただ流れ去る過去が


記憶の中で
反芻している



同じ光景は二度とない
けれど
似たような光景にはよく出会う


似たような光景を
過去から集めなおすと
そこには
似たような光景からなる歴史ができる


朝の景色
夕の景色
燕の景色
四季折々の出来事


同じ景色は二度とない
けれど
同じ出来事が繰り返される



雑多が集う景色の中から
繰り返される同じ出来事を抽出すると
当然に
同じ出来事が絶えず繰り返される


この同じ出来事を
一つの単位として
他の出来事と区別して思考する


これが存在の単位になる


世界は雑多の存在の集合体となる


特定の存在が
他の特定の存在との関係を
存続させている場合
この関係も存在として把握される



存在は把握される客体である


意識は
存在を把握しようとする存在である


存在であるので把握の対象ともなりえる


把握しようとする存在であり
かつ
把握される存在であるため
灯台下暗しに陥りやすい


地球から離れれば
地球は丸いとわかりやすいけれど
地球から離れられないと
地球の丸さを実感できない


実感はできなくても
地上の記憶が集まり
地球の丸さが観念することができるように
意識の全体像も観念されよう



地球も太陽も
意識も世界観も


物質の塊も
観念の塊も
雑多集まる世界の中の存在単位だ


記憶の中の一塊の出来事だ


意識は記憶の中をうごめいている
うごめきながら
記憶を整理している


意識は動いている
その動きの総称としての観念が
意識なのだろう


意識はホコリのように動き回る


ホコリのように動き回る意識が
ひとところに固まってホコリの塊になる


この塊が存在の単位になる


勝手気ままにホコリの塊ができるのではあるが
たまりやすい場所がある


ホコリのたまりやすい場の理論が
形而上学なのだろう


意識が同じであるためには
あるいは
同じ意識が存在するためには
意識の動きを制御する力が必要だ


ホコリができやすい場を作る必要がある
だからだろう
形而上学は目的論に陥りやすい



人により
意識が向く先に個性がある


ホコリのたまる場所が
違うだけで
さしたる違いはないのだろう


そのさしたる違いを大げさに取り上げて
掃除ができていない
整理がなっていないと
指摘しあうと紛争になる


障子の桟のホコリを
払う人もいれば
そのままにする人もいる
それを指摘する人がいる


障子の桟はたくさんあり
ホコリはもっとたくさんある


すべてを管理しようとする形而上は
とても大変だ

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