ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

意識の袋の内側を推し量る


意識は袋の様相を呈している


意識的に動かすことができる体の部位をつなげてゆくと
袋ができる
だから
意識は袋の様相を呈している


皮膚や筋肉や目や耳や鼻ら口が
神経と連なって一連の袋ができている


その内側に
無意識があって
無意識のさらに内側に内臓が鎮座している


意識の袋の外側には
皮膚や舌が知覚する近位の世界や
目や耳や鼻が感知する遠位の世界が広がっている


袋の外側の世界は
手を伸ばせば届くこともあるのだけれど
袋の内側の世界には
手を伸ばそうとしても手を出せない


手は外側に伸びていて
内側の方向へは向いていないからだ


だからだろう
意識もついつい外側に向いてゆく
手の伸びる方へと意識もついてゆく


目や耳や鼻も
外側に向いている


内臓へと向いている意識は少ない


内臓が袋の中心に鎮座して
様々な意識が内臓に背を向けて
外側を眺めている


殿様を中心に据え
周りを兵隊で固める構図に似ている


この構図からして
内臓は
しっかり意識を眺めているに違いない
私は私の内臓に忠義を尽くす
そのように設計されているらしい


この忠義から自由にはなれないから
身体と心や内臓が連なっているのだろう


意識は外へ向いているのだ
内へとは向いていないのだから
連なっているためには
中から意識を眺めている存在がなければ
つながりは当に絶たれているはずだ


感動が大きいと
その感動の余韻が体の芯に伝わることがある
心の中心は頭の中でなく
内臓の中にあるのかもしれない
そして
その中心から
意識を操る戦略的工夫が広がっていのだろう

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