ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

裁判と調停


裁判と調停の違いは
技術点と芸術点の配分比重にあるのかと思いついた


フィギアスケートなどの競技において
技術点と芸術点の総合点が争われる
どちらの点に総合点の配分を多くするかで
勝敗が左右される場面もあるだろう


裁判は
技術点の配分が高く
調停は
芸術点の配分が高い手続きなのだろう
法律の規定ですべてを判断せず
心情に配慮しながら手続きが進む
いやなら引き返せばいい
そんな面が調停にはある
非公開で行われるのは
そんなことへの配慮だろう
すべてが公明正大にいかないところに
心情の綾がある


同じことをしても
許される人と
許されない人がいる
「あの人だから大目に見よう」
「あの人だから絶対許さない」
このような心情は
公明正大な法律では許されない


法律だけの世界では
普段、わがまま放題の人も
普段、周りに配慮しながら暮らしている人も
法律判断すべき対象の行為のみをもって
良し悪しを判断しなけれはならない原則がある
これでは公明正大であっても
公正とはいい難い面がある


どちらかだけではなく
様々に比重を変えながら運用されるのは
どちらかばかりでは公正ではないからだろう


法律に代表されるような
言葉の命令を重視する社会や個人もあれば
心情を重視する社会や個人もある


進化論的には
心情を重視る方が原始的で自然であり
言葉を重視する方が理性的で人間らしいということになるのだろう
どちらがいいということはさて置き
自分と気になるあの人の違いをこんな面から考えてみると
見えない自分が見えてくるかもしれません


裁判のように生きる生き方もあり
調停のように生きる生き方もある
それから
もっと自由に生きる生き方もあるのだろう

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