ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

来し方の情報がもたらす相対効


理屈というものは
身体の一部にこびりついている類のもので
全身にいきわたっているものではないらしい


だからしばしば
「理屈ではわかってはいるのだが、、、」
と言うことになる


そんな理屈を
自分の全身に行渡らせようとするのは無論のこと
他人の身体にまで行渡らせようとする理屈があるようなのだから
ご苦労様としか言いようがない


何回も何度も
「理屈としてはその通りだが、、、」
「理屈としてはわかるのだが、、、」
そんな言葉ではねつけられながらも
懸命に食い下がり
理屈を行き渡らせてゆく


そしてそれを持続してゆく


持続できずに
維持できなくなり
忘れ去られた理屈もあり
もっと良い理屈にとってかわられ
忘れ去られた理屈もあるだろう


自然淘汰ならぬ
人為淘汰の荒波の中で
生き残ってきた理屈が
今の時代を支えている


「あんな虫がなんで生きているのだろう?」
「どんな生きる価値があるのだろう?」


そんな風なさげすむ目で
他人さまの文化を眺めることがあるかもしれない
他人さまの生き方を見つめることがあるかもしれない
他人からそのようにみられることがあるかもしれない


身にまとう遺伝子が異なれば
素晴らしいの感じ方が変わってくるように
身にまとう理屈が違うと
素晴らしさや美しさの基準が
変わってくるのだろう


来し方から伝わる狭い視野で
行く末を見るより仕方がないのだろう

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