思考と時空の関係について
思考が
時間と空間の限界の中で
様々な要求を調停している
やりたいことや
やらなければならないことが
たくさんあって”手が足りない”ということになると
一定時間の中できることは限られる
そんな中で
時間や身体をやりくりするのが
思考の役割の一つだ
*
「あれをして
これをおわらせて
それから
あっちだ」
道端に
ごみを二つ落としてしまい
それを拾う際にも
どちらを先に拾うのか?
こんなことも思考の対象だ
些細なことではあるけれど
これを解決しなければ
どちらのゴミも拾えない
ごみを拾うべきか?
いや、そのままにしておこうか?
こんな問題に発展してしまうかもしれない
このごみを
そのままにしておく
ということになってしまうと
思考が
ゴミ拾いという実践を中止させることになる
中止するにせよ
行動するにせよ
思考は実践と深く結びついている側面がある
思考が指を動かし文字が生まれ
思考が喉を動かし声が生まれる
時間と空間が支配する実践の場に
思考は深く関係している
*
この関係を遮断した「純粋な思考」は
そのような思考だろうか?
この「純粋な思考」を見出せないうちは
思考は時空の従属的存在となるのだろう
動物として生きるためには
この従属的な存在としての思考で十分ではあるが
それを超えた思考を求める時
非現実的な「純粋な思考」が
脚光を浴びることになるのだろう
非現実的な夢が
人々をつなぎとめることがある
非現実的なことが
役に立たないとも限らないのが言葉の世界だ
時空からすると
虚像に陥ってゆく言葉の群れを
操り
操られ
生きている人間が
目には見えない個性を花開く世界が
言葉の群れの中にある
*
言葉という実存が
時空への出口を求めては
また後ずさりしている
そんな彷徨いの場所が思考の場だ