ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

思考と時空の関係について


思考が
時間と空間の限界の中で
様々な要求を調停している


やりたいことや
やらなければならないことが
たくさんあって”手が足りない”ということになると
一定時間の中できることは限られる


そんな中で
時間や身体をやりくりするのが
思考の役割の一つだ



「あれをして
 これをおわらせて
 それから
 あっちだ」


道端に
ごみを二つ落としてしまい
それを拾う際にも
どちらを先に拾うのか?
こんなことも思考の対象だ


些細なことではあるけれど
これを解決しなければ
どちらのゴミも拾えない


ごみを拾うべきか?
いや、そのままにしておこうか?
こんな問題に発展してしまうかもしれない


このごみを
そのままにしておく
ということになってしまうと
思考が
ゴミ拾いという実践を中止させることになる


中止するにせよ
行動するにせよ
思考は実践と深く結びついている側面がある


思考が指を動かし文字が生まれ
思考が喉を動かし声が生まれる


時間と空間が支配する実践の場に
思考は深く関係している



この関係を遮断した「純粋な思考」は
そのような思考だろうか?


この「純粋な思考」を見出せないうちは
思考は時空の従属的存在となるのだろう
動物として生きるためには
この従属的な存在としての思考で十分ではあるが
それを超えた思考を求める時
非現実的な「純粋な思考」が
脚光を浴びることになるのだろう


非現実的な夢が
人々をつなぎとめることがある


非現実的なことが
役に立たないとも限らないのが言葉の世界だ


時空からすると
虚像に陥ってゆく言葉の群れを
操り
操られ
生きている人間が
目には見えない個性を花開く世界が
言葉の群れの中にある



言葉という実存が
時空への出口を求めては
また後ずさりしている
そんな彷徨いの場所が思考の場だ

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