ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

伝統論


文化というものは
根拠がよくわからないところがある


突き詰めていくと
往々にして
「昔からそうだから」
という伝統論にたどり着く


命のセントラルドグマを維持している
アミノ酸のコード表にしても
「植物も動物も菌類も同じコード表を使っている」
「昔からそうである」
ということなので
命の原理も伝統論に吸収されてしまうのだから
伝統論には逆らえない


幾重にも塗り固められてきた
伝統の壁に守られて
命が輝いている


だから
伝統の壁をぶち壊すということは
大げさに言うと
命も危険にさらす行為である


このように
伝統を壊してしまうのは
自暴自棄ということになる
だから
芯を壊さない程度にしか
伝統の壁は壊せない


結果として
ちょっと壊しては
その
ちょっと壊れたところに
新しい伝統を創り
今までにない快挙を成し遂げたと
喜ぶことになる


この作業は
家で言ったら
屋根の塗り替え程度のものなのだろう


それを大騒ぎをして
革命とか言いながら
実行する


「明日は何を着ていこうか?」
「今日は何を着ていこうか?」

長々と腐心するするようなものと
同じようなものなのだろう


そんな些細なことの積み重ねが
それぞれの命の尊厳として
伝統のように
次から次へと積み重なって
社会も
生命を
私も
変わりながら維持されてゆくのでしょう


「昔からそうである」
といいながら
少しづつ変わってゆく


その変わったものも
いつの間にか
「昔からそうである」に堂々と属して
古めかしくなってゆく


私も
「昔からそうである」古いものになってきた
それでいて
身長が縮んだり
身体がこわばったり
白髪が増え
疲れやすくなるなど
変化がみられる
そして
このような変化も
至極当たり前のようなものになってきた

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