ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

記憶と実践:自然選択というセントラルドグマ


思考は
記憶を再編してゆく作業である


ある意味
実践である


しかし
それは内的実践であり
外部との連なりのある実践ではない


いずれにせよ
思考により
外部との関係が改変されてゆく


記憶が改変されることにより
外部との関係が改変されるのである


記憶が改変されずに
偶然に外部との関係が改変されても
それは偶発的なものであり
一過性のものとなり
また元の状態に戻るのでけれど
記憶が改変される場合には
記憶する側にとって
それが好ましいものであると
以後も繰り返され
永続性をもった改変となってゆく


こうした蓄積により
生命は進化してきた


流転し続ける外部に抗う力を
こうして蓄積してきたということである


この力は
記憶による実践の再現を
帰納的にえりすぐることにより
強靭化されて来た


生き残るために
記憶力と
記憶による再現が試され続けている

記憶と実践:手術台に乗せられた私は祈る外なかった


記憶に佇む時間と
実践にいそしむ時間がある


記憶に佇む時間においては
脳が活発に活動し
実践にいそしむ時間においては
筋肉が活発に活動する


記憶に佇む時間においては
内部の改変が進み
実践にいそしむ時間においては
外部の改変が進んでゆく


記憶に佇みながら
実践を為し
実践をいそしみながら
記憶を改変し
内部と外部が通じ合う


この通じ合うことにより
調和が生まれ
あるいは
対立は明確になる


こうして
好ましからざる外部に対して
どう対処してゆくのか
記憶に佇みながら考えることができるようになっている


ところが
どうも対処しようもない外部の横暴に直面し
そう対処してよいのか
途方に暮れる時がある


逃げるという対応もできない時
祈る外なくなる


自己以外に救いを求めるのである


弱いから祈るのである


その弱さを乗り越えようとするから
祈るのである


その弱さに全てを諦めるとき
祈ることもやめるのだろう

記憶と実践:好き放題と自制の話


万物が流転する中で
太陽も
地球も
ゆっくりと崩壊している


もっと早く崩壊してゆく人間にしてみれば
あんまりにゆっくりなので
どっしりと構えてくれているように見えるのだけれど
太陽はやがて巨大化して
地球をも飲み込んでしまうという話を聞いたことがある


地球がどっしりと構えてくれているとして
人間は好き放題を繰り返す


人間ばかりではない
バッタも
カエルも
ワニも
好き放題を楽しんでいる


そして
立ち行かなくなれば
好き放題をやめにして死んでゆく


立ち行くうちは
好き放題を繰り返すのが
生命の性らしい


そんな好き放題の中にも
立ち行くことが出来なくなるような事態を回避するような
自制が記憶されているところに
生命の奥深さがある


好き放題とやり放題の微妙な違いを
この自制に在ると考えるのも一つの機転である


昆虫の多くは
毎年同じような数の成虫が現れるように
卵を産み
やたら多くの卵を産まないようにできている


外来種のように
新しいパラダイムを見つけて
爆発的に繁殖することも稀にはあるが
多くの昆虫は
どのくらいの数の幼虫が
鳥や蜘蛛などに捕食されたり
食物にありつけずに死んでゆくのかが
きちんと計算されているように
それぞれの昆虫に見合った数の卵を産む


そんな自制の一環なのか
人間の心の中にも
自制の心が宿っている


好き放題ばかりでは
立ち行かない事態が訪れてしまうことを
類人猿500万年の歴史の中で学び
生まれながらに学習しているようである


だからなのだろう
やれたけれど
やらなかったことが
後悔になることもある


そうした後悔も
好き放題の好きのうちとして
生命はその記憶を運び
実践してゆく性として生命は生きている


私にもたくさんの後悔が蓄積している


「あの時
 なぜあと一歩を府に出さなかったのだろう」と
思い出すことがたくさんある


自制と後悔もまた
生命の性なのだろう


致し方がないことであると諦めるより仕方がない


もう過去のことなのである


記憶の中のことである
過去に戻って何らかの実践をなすことは
出来ぬ話である


温暖化が進んだ未来の地球の上で後悔をしても
何を出来るでもないということになるのだろう


新しい地平に立ち
自制を進化させるには
それなりの経験と時間が必要なのである