ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉と意識:怠け者さえ憧れる世界の広がりについて


桜の花言葉は
「精神の美」「優美な女性」だという


スズランのそれは
「再び幸せが訪れる」「純粋」「謙虚」だという


ひまわりでは
「あなただけを見つめる」「愛慕」「礼拝」
ひめゆりでは
「誇り」というのがあるらしい


今の時代では
こうした花言葉を
検索で知ることが出来るので便利であるが
花言葉を知らずに花を贈ると
無粋なことにもなりかねないから
花を贈ることに大きな抵抗になっていた


そうはいっても
花屋さんに事情を話せば
その事情に応じて適切な花言葉の花を選んでくれたのであろうが
「花言葉があるので花を贈ることは難しい」
ということを言い訳にして
花を贈るなどという面倒なことを避けていた


こういった面倒を乗り越えてまでも
花を贈るからこそ
花を贈る意義も出てくるのだろうから
私のように花を贈ることを躊躇する人間が多いほどに
花を贈ることが高く評価されることになるのだろう


そう考えると
私はずいぶんと
楽をして損をしてきたのだろう


そして
損をしてきた分
守るべきものも少なく
楽をさせてもらっているのだろう


花言葉を覚えるということは
苦労であり
それにより多くの恵みももたらしてくれるが
苦労が続くということでもあろう


多言語を操れる人がいる


うらやましいが
そんな苦労をしたくなかったのだから
仕方がない


茶道の心得もなければ
花も活けられない


ピアノも
ギターも弾けやしない


それでも
それなりに幸せに暮らし
その暮らしを守るのに苦労も重ねている


もっと苦労しようともあまり思わないのだから
無粋なまま生きてゆくのだろう


それでも
「じゃあ」とばかりにさりげなく
音楽を奏でる人に出会うと
自分も頑張って楽器を覚えておけばよかったと
うらやましく眺めたりする


言葉や楽器が
世界を広げてくれているのである


野に咲く花を眺め
その花言葉をつぶやくようにできれば
別世界の扉が大きく開いてくれるのだろう


最近
バードウォッチングを始めた友がいる


鳥の声を聞き
その鳥の種類を言えるようになったなら
これはまたこれで
大きく意識の世界が広がるのだろう


お釈迦様の周りには
たくさんの菩薩様がいるらしい
そんな菩薩様のことを覚えると
これまた意識の世界が大きく広がるのだろうし
あまたいる神様のことも覚えれば
その分世界は広がるのだろう


こうやって
世界を広げてゆくと
いくら時間があっても足りなくなる


無意味な時間を捨て
意義深い時間を過ごしていたくなる


ありがたいことである

言葉と意識:尊厳を生む予定調和


「肉体疲労」という言葉は
疲れているわけではなく
筋肉痛があるわけでもないので
疲れていなくても「肉体疲労」と発語できる


しかし
本物の「肉体疲労」では
疲れた感覚や
筋肉苦痛を伴い
ひどい場合には
「肉体疲労」などと発語する発語する余裕もなくなる


それに
「肉体疲労」という言葉を知らない外国人と
「肉体疲労」という言葉に親しんだ日本人の間には
この言葉を見た時に
大きな反応の違いが生じるのも面白いことである


この意識の差により生じる差分にこそ
言葉の生命線が隠されている


反応させる側と
反応する側の予定調和のなかで
言葉は
生き生きと交換され
後世に伝えられてきたのである


このような言葉と同様に
肝臓という存在も
腎臓という存在も
このような予定調和の中で
伝えられてきた


言葉も
肝臓も
腎臓も
無くてはならないものとして
進化してきた無用なものなのである


この無用なものを
無くてはならないものにしてきた慣習の力が
尊さを育み続けて来たということである


ある組織に属すると
私はその組織の予定調和の中で
私は
その組織にとって尊きものになるように努力して
尊きものとしての慣習にとらわれてゆくだろう


その組織から離れると
私はその組織にとって尊きものから
無用なものへと変わるのだろう


予定調和が
尊さを育てている


その属する組織の調和のなかで
予定調和が
尊きものとして選択されてゆく


私は
無用への陥落を畏れているのだろう


老いに抗いたいのである


無用へと続く道を抗いたいのである


肉体疲労を乗り越え
まだまだ動ける体を維持したいのである


この抗いもまた
私に埋め込まれた尊厳の一部なのだろう

言葉と意識:浮雲のように遷りゆく景色


空を眺め
「雲が浮いている」という言葉を思い立つことがある


こうした時でも
目を閉じると浮いていた雲は消え失せる


また目を開けると
「雲が浮いている」という意識が回復する


空に雲が浮いている間にも
言葉の「雲」も
意識の「雲」も
在れば在り
無ければ無い存在である


私次第で
現れてはまた消えてゆく存在である


「恋」も「愛」も
「妬み」も「恨み」も
私次第で
現れては消えてゆく
在れば在り
無ければ無い存在である


「雲」や「恋」など
私が紡ぐ言葉や意識は
私が派生させているものであるので
その言葉や意識そのものが
私の外にあるのではない


私の中で渦巻く言葉や意識が
互いに関係を築いているように
私の外の何かと
私の言葉や意識を
私が関係づけている


この関係づける能力において
生命は躍動している


DNAの塩基配列とタンパク質のアミノ酸も
意識と言葉と同じ様に関係づけられている


この関係づけを共有することで
言葉を交わすことが出来ている


ウイルスと細胞も
この関係づけを共有しているので
ウイルスは細胞に感染することが出来ている


そうだ
「雲が浮いている」で顕われるこの「雲」は
私に感染しているようなものなのだろう


ただ「雲」には感染し増殖しようとはしていない


この「雲」を感染させ増殖させるか否かは
私が決めている


「恋」も「妬み」も神仏も
「雲」と同じように私の中を
沸き上がり
流れ
やがて消えてゆくのだろう