ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

存在の認識:「全てを知る」ということについて

catsdoodle


テレビの音を

「うるさい」と思うことがある


テレビ番組を愉しんでいると

画面が切り替わり

突然大きな音で

どうでもよいようなCM が始まると

あわてて音量を下げたり

テレビを消してしまうことすらある


「うるさい」と感じる存在は

だいたいにおいて

「無ければ良い」と認識する存在である


修行僧が

「雑念を振り払う」のも

雑念を「うるさい」ものとして取り扱う結果であろう


「うるさくなければ良い」ものが

どんどんなくなってゆくと

閑な世界が顕われてくるのに違いなかろう


洗練されたものだけが残る純粋な世界が

顕れてくるのに違いなかろう


純粋理性

純粋体験


汚れちまった魂も

汚れをそぎ落とせば

みずみずしい魂になれるのだろうか


テレビによるスポーツ観戦と

生のスポーツ観戦は別物である


テレビは

存在するもののうち

強調すべき何かを残し

その余の部分をそぎ落とした上に

何か雑音めいた脚色を追加して成立している


生のスポーツ観戦は

そうした加工を

私が出来るところに心地よさがある


むろん

生の観戦でも

全てがわたしの加工によるところではない


周囲の人


殊に同行した人がいると

その人による加工が入り込む


周囲から「うるさい」と感じる加工が入り込むこともある


これが多いと

つまらない生の観戦になり

「家で一人で見ていた方が良かった」

なんてことにもなりかねない


私には

周囲の雑音を取り入れる能力がある


そうした能力を

そぎ落としたくなる時がある


全てを知るということは

果てしもない苦痛をも

もたらしてくれることだろう

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