ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

 動的秩序は規則的反応の調和的集合体。ルアーは反応をもたらす物質の最適化の象徴。情報の流れの中で規則と調和が繰り返えされる。

自然選択としての結果選択、PDCAサイクル


多くの動物が
雄と雌のどちらかだ


なせそうなっているのか?


観察的説明:
調べた結果としての事実からの説明


形成的説明:
性成熟過程の観察結果からの説明


遺伝学的説明:
染色体あるいは遺伝子における雌雄差、雌雄決定機構による説明


目的論的説明:
遺伝子プールの形成による劣化遺伝子の補修的機能等による説明


様々な説明ができる


しかし
どの説明も
雌雄の存在が恣意的であることを否定していない


起源論的説明:
雌雄存在に必然性はないが、現に存在している


ということか



生命が存在していることも同様だ
必然性があったと説明できない
根源的には
言葉とその意味の関係に必然性がなく恣意的であるのと同様だ



必然でなくたとえ恣意であっても
現にあるということがとても大事と考えなければならない


このことを
情緒的に教えてくれるのが
宗教のひとつの役割だ


ーーーーーーーーーーーー
メモ


人間の場合
雄雌と呼ばず
男と女と呼ぶ


前者は生殖的意味合いが強く
後者は社会的意味合いが強いように感じる


社会的意味合いというのは
役割分担あるいは「らしさ」といったことの
原因としての性差だ


このような社会的存在も
必然性がすべてではなく恣意的に決しているところもあろう
だから
現にあることを変えてゆけることになる


社会運動は
今ある「現にあること」の価値を弱め
新たな結果を
次の時代の「現にあること」へ

昇華させる試みだ


この運動の結果が選択されるや否や

で次の時代が変わってくる


このような
結果選択の連続で
社会が進化するのだろう


結果というのは
とても自然な存在である


自然選択の一環として
このような
結果選択がある


PDCAサイクルも同様だ


「結果が良ければ繰り返す」
再現能力があるシステムのなせる現にある業である



ありがとうございます



妄信がもたらす安心


車を走らせていると
「ああはなりたくない」
そう思わされる光景に遭遇することがある


最たるものは
交通事故である


いくら注意をしていても
自分もまきこまれる可能性がある


だから
というわけで
車の運転を止めるわけにもいかない


私以外の車を運転する方々を信じて
事故に巻き込まれないと思いながら
運転をすることになる


「もし対向車がこちらにはみ出してきたらどうするか?」
「交差点でこちらが青だからあちらは赤だけど突っ込んできたらどうしよう」
こんなことをいちいち考えていたら
車の運転など怖くてする気になれない


可能性があっても
めったにないことは「ない」と信じると決めて
腹をくくって運転しているのだ


だからこそ
交通事故の現場のわきを通ると
この信心が揺らぐことになる
そして
「安心できないぞ」
「気を付けよう」
そう思うことになる


人様を信じたり用心したりを
くりかえしているものだから
車を運転した後は
奇妙に心が疲弊してしまうのだろう


信じられる人が増えれば
心の負担が減るのだろうが
信じられる人になるには
気を使い心の負担が増えることになる
だから
心はそれなりに疲れる運命にあるのだろう


身体は動かすものであり
動かすと疲れる
同様に
心も動かすものであり

疲れる運命にあるのだろう


ーーーーーー
メモ


道端を
腰の曲がったお婆ちゃんが歩いていることがある


たいへんそうだ


「よく歩いているな」
「なにもそこまでして歩かなくてもいいじゃないか」
そう思えるような恰好をしている方に出会うこともある


年は取りたくないものだが
私も確実に年を取ってきている
今の私を
若々しい頃の私が見れば
「ああはなりたくないな」
そう思うのだろう


いや
むしろ
目にも入らないのかもしれない
目に入ったとしても
頭の中を素通りしてしまうのだろう


「こうなる」などと考えてもいなかったからだ


目につき
考えさせられることは
「自分にも起こり得る」
そう無意識に想定していることなのだろう


何が目につき
何が目につかないのか


何を信じ
何を信じていないのか


考えてみる機会があってもよいかもしれない



ありがとうございます









自分を鍛えるということ


鍛えるということは
新しい価値を見出し
新しい仲間を作ることに通じる


勉強をすることも
身体を鍛えることも
エチケットに気遣うようになることも
日々努力を
そこに向けなければなしえないことだ


とかく
自分が苦手なことについては
「そんなことしても何の役に立つの?」
と言いたくなる
逆に
自分の得意分野については
「なんであの人はああなんだろう?」
などと思ったりする


お茶の世界にしても
お花の世界にしても
どうでも良いようなことにこだわり
そのこだわりを共有する
その苦労を乗り越えると
価値が生まれる
この価値を共有することが
新しい出会いを導く


勉強の世界も
肉体鍛錬の世界も
エチケットやファッションの世界も
何かを乗り越えた者にしか共有できない価値が生まれる
この価値をたくさん感じると
豊かになるのかもしれない


やらなければ始まらず
続けなければわからないことが
山とある


時間には限りがある


何を求め
何を捨てるのか?


自分で考えたいものである


ーーーーーー
メモ


楽しみ方にも様々ある
文字通り「楽しよう」というのもあり
「苦労を楽しむ」というのもある


人ができて
自分ができない
ということがある


悔しいと思うこともあれば
別段、悔しいとも思わないこともある


まあ
できることはたくさんあった方が
格好がいい
できないのに「できる」といいたくなる場面があると
そのことをひしひしと感じる


「何をできるようにするのか?」


自分で考えて決めたいものである



ありがとうございます