繰り返す能力が
善悪を求め
それを決する土俵を創り上げてる
この土俵の上で躍動しているのが
生命ということらしい
いくつもの土俵が創られるけれど
維持されゆくものもあれば
荒廃してゆくものもある
そんな
いくつもの土俵で
時に争い
時に佇み
時に勝ち
時に負けながら
様々な命が土俵に上がる
生命が躍動する
ある土俵で負け続けている命も
別の土俵で勝ち続けたりする
そんな土俵の上では
同じことが繰り返されている
同じことを繰り返す能力が
土俵に上がり続けている
土俵の上で繰り返される現象は
皆同じようでいて
皆異なっている
どれもこれも相撲であり同じである
しかし
どの相撲も
立ち合いから始まり
一時として同じ絵を描くことはない
同じことを繰り返しながら
一時も同じではありえない
しかし
同じ相撲として
同じ生き物として
同じを繰り返す
負け続け
あるいは
勝ち続け
いきおい
同じことを繰り返す
私の命は
私が生まれた時に歩み始めたわけではない
私の命が歩み始めたのは
生命が誕生した時であり
もうかれこれ40億年にもなるらしい
私の命の軌跡は
太陽の周りを40億回も回っているのである
そうしてお正月を迎えると
また
新たな周回に入るのである
元旦は
新たな周回に入る記念日であり
祝いの日である
もう
40億回もお祝いしているのではあるが
まだまだお祝いするほど
元旦はありがたいことである
同じことを365日
一日24時間繰り返しながら
元旦にたどり着いたお祝いである
そしてまた
同じことを繰り返せるようにと願うお祝いである
「神様ありがとう
おかげさまで
また元旦にたどり着きました」
私の命は
40億回も
私をお祝いし続けて来た
同じことを繰り返すための再現能力という
内部要因と
その能力を許す外部要因が揃って
40億回も
元旦をお祝い出来て来たのである
授かった再現能力と
恵まれた環境に感謝をささげるために
元旦
お祝いをするのである
猫も
犬も
大腸菌も
サンショウウオも
エビも
カエルも
ミズスマシも
メダカも
それぞれの元旦を祝っているに違いない
それぞれの境遇に狼狽し
神を恨みながらも
それぞれの元旦を祝っているのに違いない
元旦を祝うや否やが問題なのである
よく笑うとか
哀しいだとか
皆に流されているとか
恨んでいるとか
怒っているとか
そんなことは
取るに足りないくだらない問題に過ぎないに相違ない
それでも
そんな些細なことを
積み重ね
積み重ね
一日が過ぎ
一年が過ぎてゆくのである
40億年の歴史の上で
様々な些細な問題が
生まれては
また
消えてゆく
それを繰り返すために
また元旦を迎え続けてゆくのである
「もう駄目のようだ」
そうなるまで
些細な問題に振り回され続けてゆくのである
それが
40億年の歴史が示す暫定的方法論の序説なのだろう
結論は
遠い昔に在り
遠い未来に有り
見知らぬ一つ一つの命に在るのである
遺伝子は
ディープラーニングを繰り返している
時間をかけ
「世代を超る」「世代を超えない」を
「1」と「0」に振り分け
「世代を超える」結果を導く要因を
模索し続けている
「世代を超える」結果を導く要因としては
気温や水温、湿度といった外的要因と
生化学反応や行動といった内的要因がある
遺伝子は
それぞれの外的要因の中で
「世代を超える」結果を導く内的要因を
模索し続けている
模索の方法は
同じことを繰り返すことである
同じことを
少しづつ変えながら繰り返し
その結果を振り分けることである
*
右手があり
左手があり
目があり
鼻があり
耳がある
それぞれが要因であり
結果ではない
それぞれが
「世代を超える」結果を導く要因である
喜びがある
悲しみがある
快感がある
痛みがある
便意があり
尿意をもよおす
それぞれに
「世代を超える」結果を導く要因である
その物語に真実を見出す
その物語に嫌悪を感じる
その祭りに血が騒ぎ
その祭りを迷惑に思う
それぞれに
「世代を超える」結果を導く要因である
多数の要因が
それぞれの個体で実践され
それぞれの個体ごとに
「1」「0」のどちらかの結果が付される
多の「要素」と
1の「結果」が
一つの個体について
1回づつ試される
それゆえに
一つの個体から
何がよかったのかは分かりにくい
それでも
多数の個体をサンプルとして
ディープラーニングを進めることで
その地域
その大きな時代区分の中で
「世代を超える」結果を導くという点において
優れた要素が
選ばれて
より頻繁に顕在として現れる
*
一つの個体の中には
大多数の成功要因と
ちょっとの失敗要因とが混在している
小さな成功要因が集まって
小さな失敗要因を凌駕しながら
「世代を超える」という結果が導かれ続けている
成功し続けるのではない
ましてや
失敗し続けるのではない
上手くやっていることの方が大部分であるから
生きている
それでも
失敗が気にかかる
失敗を克服するのが
理性の働きなのだろう
感情というものがある
そいつが
失敗に敏感に反応し
理性を働かせ
それを克服する道を模索させようと
躍起になっている
感情は
風紀委員長のようである
失敗からしてみれば
小うるさい外野である
「ゴミが少しぐらい落ちていても
廊下は歩ければいいじゃないか」と
失敗が主張する
「塵を積もれば山となる」と
風紀委員長が反論する
いつでも
風紀委員長と
そのやり玉が
私の中にいる
いつか
やり玉になっている悪党が
風紀委員長の座に就くこともあるのだろう
多要素の複合としての結論が
曖昧な良否判定を生み
大多数の善と
少数派の悪の集合を
次の世代へと運んでいる
ディープラーニングは
真っ白ではない
断定ではない
暫定である
暫定には
進化の余地があり
退行の兆しをも含まれている