味覚を感じるには
味を感じる感覚器が整備されていなければならない
それに加えて
その感覚器に
その感覚器を刺激する物質が触れなければならない
感覚器があるということと
それを刺激する物質が接触すること
この二つがあり
味覚を感じる
このような前提の上で
味を感じるために
刺激する物質を感覚器に接触させる努力を
私の手足は遂行している
そして
美味しいと感じるものを飲み込み
不味いと感じるものを吐き出す
こうして
私は外部の物質と
味覚により制約された関連を持つに至っている
味を感じないものは
こうした制約の外に在る自由の領域に在る
飲み込むこともあれば
吐き出すこともあろう
そこに
私の自由意思が働く
食べても良し
食べぬのも良しである
美味しくないのはつまらないけれど
この自由の領域で
様々なものとと接触を愉しむのが
理性の醍醐味のひとつなのだろう
純粋理性のわかりにくさやつまらなさの起源は
この辺りにあるのではないかと思っている