ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

制約と自由:アプリオリな制約から逃れた自由な領域


味覚を感じるには
味を感じる感覚器が整備されていなければならない


それに加えて
その感覚器に
その感覚器を刺激する物質が触れなければならない


感覚器があるということと
それを刺激する物質が接触すること
この二つがあり
味覚を感じる


このような前提の上で
味を感じるために
刺激する物質を感覚器に接触させる努力を
私の手足は遂行している


そして
美味しいと感じるものを飲み込み
不味いと感じるものを吐き出す


こうして
私は外部の物質と
味覚により制約された関連を持つに至っている


味を感じないものは
こうした制約の外に在る自由の領域に在る


飲み込むこともあれば
吐き出すこともあろう


そこに
私の自由意思が働く


食べても良し
食べぬのも良しである


美味しくないのはつまらないけれど
この自由の領域で
様々なものとと接触を愉しむのが
理性の醍醐味のひとつなのだろう


純粋理性のわかりにくさやつまらなさの起源は
この辺りにあるのではないかと思っている

制約と自由:不完全な制約の栄枯衰退


制約の効かないところで
自由が発露する


この意味で
自由は
制約の破壊者である


制約もまた
別の制約の破壊者たり得る


制約間に矛盾があれば
どちらかをとれば
どちらかを破壊しなければ
より強固な制約を維持できないからである


不完全な制約が
互いに主張し合う


生命の世界は
このような不完全な制約の
栄枯衰退ということになり
人間の歴史もまた
このような不完全な制約の
栄枯衰退ということになる

制約と自由:「ご褒美」に憧れるという自由


「ご褒美」という言葉がある


いつも我慢をしていればこそ
その我慢していることを「ご褒美」として
思う存分にやってのける


ここに「ご褒美」の醍醐味がある


しかし
普段我慢していることに
我慢をするだけの理由もあるのですから
「ご褒美」も
どこかのとこらまでで自制しないと
後で後悔することになりかねない


ひと時の自由


再び我慢の日常に帰らなければならないのである


そのことを忘れ
自分で自分を褒めながら
「ご褒美」に浸かる時間の何と幸せなことなのだろう


「私はほかの人とは違い
 このようなご褒美の中にいる」


この特別感が
我慢すべき理由を忘れさせてしまうのである


ここにおいて
心の隙間に魔が差し込んだりすることになる


止むごとなき有名人の闇も
ここから始まるのであろう


気を付けたいが
陥ってみたい人間の深い業である


思う存分にこの魔界に浸ってみたい気もするが
そんな勇気も
そんな器もない私を
私はどこかで寂しく思う