ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉と意識:同じ樹に同じ花が咲くということ


満開の桜の枝に無数の花が咲いている


そのどれもこれもが
同じ花の形をしている


ほんの微細な違いはあるのだろうが
同じように花芽を膨らめ
同じように花を開き
そして
同じように花びらを散らしてゆく


言ってしまえば
この同一物たる桜の花の大量生産は
あたかも工場の様である


こちらのビール工場では
こちらの工場なりの缶ビールが大量生産され
あちらのビール工場では
あちらの工場なりの缶ビールが大量生産されるように
あちらの桜には
濃いめのピンク色の花が一斉に咲き
こちらの桜には
例外なく薄色の花が一斉に咲く


この統制された作業の中で
桜は
つぼみを膨らめ花を咲かせ
そして花びらを散らしてゆく


桜の樹には
それぞれの樹ごとに
それぞれの統制があるのである


そして
その統制に従い
循環を繰り返す


言葉にも
それぞれの統制があり
その統制により言い換えがなされ
意味が循環している


意識は
この統制を司っている


言い換えを
良しとしたり
良しとしなかったりしながら
言葉を循環させている


食べ物を
うまいとしたり
まずいとしたりするように
言い換えを分別しながら
意識が言葉を循環させている

言葉と意識:「3」のエラン・ビタール


1+2=3である
3=5-2である
よって
1+2=5-2である


3をいろいろに表現できるということである


1+2や5-2はむろん
103-100も3である
1003-1000も
105-102も3である


表現される形は違っても
みな3である


3は
無限に異なる表現を持っている


この3が持つ表現全てが
同じ3なのである


この全ての表現がなぜ同じ3であるのかを知ることで
3を理解することになる


言い方を変えると
3をただ「3」として知るだけでは
3を知らないということなのである


だから3は「3」でい続ける訳にはいかない
1+2や5-2に変換され
再び「3」に戻らなければならないのである


この「3」が3であり続けながら循環するところに
3の生命線があるのである


「3」がいつでも「3」であると
3は生命の躍動を失い
「3」として徐々に浸食されながら
「3」としての形も風化されてゆくのだろう


「3」は
3として循環しながら
その生命を維持してゆくのである


意識が数字を変換し
循環の中に置き
生命を吹き込むように
酵素たちが
化学物質を変換し
循環の中に置き
生命を吹き込んでいる


そして
私が循環している


「私」として動きを止めることなく
私を循環している


次から次へと私の表現を変えながら
私を維持している


変わりながら同じであり続けるのである


「不同の同」の中で循環するのだ


だから
同じでないことを恐れてはならない


103-100が
1+2になっても
同じ3である


「3」で固まってはつまらない

言葉と意識:言葉を愛するということ


人間には
言葉を愛する才能に恵まれているらしい


言葉に魅せられ
言葉を求め
その言葉に服従し
言葉を発して
言葉を賛美する


時に
自己愛よりも
言葉への愛が強くもなるらしい


自らの気持ちと裏腹な言葉にさえ
自らを曲げても
従うことがあるのである


愛するもののために
自らを犠牲にしさえする


何という才能だろう


我が子を守るために
自らの命を差し出す母親のように
言葉に命を託すのである


そんな言葉が裏切ることがある


愛される者が愛する者を裏切る様に
言葉が言葉を愛する者を裏切ることがある


嘘である


愛する者の意識の中に宿した
愛する者も
愛する言葉も
愛する者そのものではなく
愛する言葉そのものではなく
その写し物なのである


その写し物が
本物の愛する者や
本物の言葉が意味しようとしていたことが
異なっているのである


私は
いつでも
本物と同じものと擬制した
私の中の写し物を愛することしかできないらしい


だから
その写し物が本物と同じかどうかを
細心の注意をもって吟味してみなくもある


吟味してもなお
漏れがあり
本物と同じと思っている贋作に裏切られることがあるのである


それでも
わたしは
私の意識の中に在る贋作しか愛せない


この贋作を愛することが
本物を愛することだと信じて
本物を愛していると意識しているのだろう


この贋作を贋作と知りながら疑い
それでもそれを本物であると信じて愛している



太陽が山の陰から顔を出す


私の意識の中にも
暖かな光と贋作の太陽を作り出す


この贋作の太陽に
私は感謝する


裏切ることのない太陽として
感謝をささげる