美味しいものを食べると嬉しくなる
「美味しい」は感覚であり
「嬉しい」は感情である
感覚と感情が連なって
「美味しいものを食べると嬉しくなる」のである
美味しいと感じる能力
嬉しいと感じる能力
こうした能力を結び付ける能力
様々な能力が協調しながら
生き延びるように誘導してくれている
美味しい=嬉しい
「美味しい」も
「=」も
「嬉しい」も
能力であり
こうした能力により生きている間
この3つの能力も維持され
他の能力と共に存続してゆくのである
こうして
「カレー」は「美味しい」が
帰納法的に繰り返され
「美味しい」と「嬉しい」も
帰納法的に繰り返され
「カレー」は「嬉しい」と演繹されるのである
繰り返される能力が
帰納法や演繹を作り出すのである
地球が自転する能力を失えば
昼夜は帰納法として顕れないだろうし
地球が公転する能力を失えば
四季も帰納法的に表れては来ないだろう
どんぐりであろうが
栗であろうが
「1」や「2」と数にする能力があり
「1+1=2」と認識する能力と
「1+1+1=3」と認識する能力から
「1+2=3」が演繹されるのである
定義は能力の賜物であり
定義に基づく論理は
総じて
能力の崩壊により消滅するまほろばなのである
「美味しい」も「嬉しい」も
生きているからこそ味わえる
こうしたまほろばに違いない
美味しいものを食べると嬉しい
怖いものがあると逃げる
様々なまほろばが
生きる道しるべとなり私を支えている
まほろばがまほろばを維持してゆくのである