対応的同一:差異は同一に先立つ
同じにされている存在が
同じであることに違和感が生まれると
それは別々なものと認識されるようになる
異質の認識よりも
違和感が先に立つ
この違和感の先に存在するものは
同じであるという認識の下でも存在していた
差異である
認識対象を基準とすれば
差異は同一に先立つ
という訳だ
*
同一は創られる
能動的再現により
同一が創造され
差異が統一される
あるいは
差異は除外視される
認識を基準とすると
同一は差異に優先されるのだろう
むしろ仕方がないのかもしれない
同じように見えてしまったら
隠れた差異があっても
気が付かなければ同じだから仕方がない
*
同一が創られるのと同様に
差異も創造することができる
同一を創造するように
差異を能動的に再現することもできる
たとえば
人には名前が付けられる
家畜には
識別番号が付される
これは
対象自らに原始的に存在している差異ではなく
後天的に付された差異である
*
多細胞生物には
免疫機能があり
外部からの細菌やウイルスなどの侵入者を
排除している
同じ生物種でも
他者の細胞は
免疫の餌食になる
身体は
このような免疫機能により
「自己」による独占が達成されている
細胞一つ一つに「自己」の標があり
「自己」の標と符合しない部外者が
免疫により排除され
身体の同一性が保持されているのだ
そうして
免疫は同一を眺め
身体は同一を主張する
この調和的共鳴の中で
身体の同一性が保持されている
*
私は
私の名前の記憶と共に
時を経過し
成長してきた
これからも
私は
私の名前や様々な記憶とともに
未来を拓いてゆくのだろう
しかし
記憶喪失になったなら
それは危機に瀕することになる
それでも
私は私として
時を過ごしてゆくのだろう
年を取りしわが増えても
変わらない顔つきが
私としての同一を保持しながら
私を渡しとして維持してゆくのだろう
記憶だけが
私の同一性を保持しているのではない
こどもの私と
年老いた私とは
異なっていながらも同じである
*
同一であることと
差異があることが
並行して存在するのは
同一や差異が認識の賜物であるためだ
小鳥のさえずりの
ピーチクと
パーチクも
同じといえば同じであり
異なるといえば異なるものになる
聞き分ける能力と
聞き分ける動機がないと
勉強したはずの英語も
どんな単語の発音も
違っているはずなのに
みんな同じに聞こえてくるから
困ってしまう