制約と自由:調和するという正義あるいは美学
私は
昨年末の夜
洋式トイレの前で正座をしていた
呑み過ぎた
今にも吐きそうな気分でトイレに行き
洋式トイレの前に座した
そして
この洋式トイレの高さに驚いた
座るにも良い高さであるだけでなく
正座して向き合うにも程よい高さなのである
そこで考えた
この丁度良さが正しさなのである
子供には少し大きいが
大人にはピッタリである
正義も
大人の丁度良さで決まっているのだろう
だから子供には
大人の正義に不満を覚えたりするのだろう
年寄りも同じであろうし
身体障害があれば
それはそれで不満も生まれよう
それにしても
トイレはありがたい存在である
下からの排泄物も
上からの排泄物も堂々と受け止め
まるで
なかったかのように
これらを始末してくれる
しかも
それを毎日毎日繰り返してくれるのである
思わず
「一年間ありがとうございました
来年もよろしくおねがいいたします」と呟いた
そんなこんなを考えながら座していると
いつの間にか吐き気もおさまった
年が明け
今
トイレの前に座し
掃除を終えて来た
トイレも自由ではなく
制約されているのだと思いながら
その白い肌を磨いてきた
改めに
その程よい大きさを実感してきたのである
トイレは
制約されているのである
形と言い
大きさと言い
制約されることで
私と非常にうまく調和しているのである
「今年も一年お願いします」
そう呟いて
トイレを後にした
私も
何かに
調和しながら制約されなければ
美しくはなれぬのだろう
今持つもの限度の中で、、、