ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

他者を求める自意識


自慢するということと
褒められるということの間に
調和が生じたたり
齟齬が生まれたりする


自慢と褒賞の関係は
愛すると愛される関係に似ている


努力することと
報われることの関係も同じだ


自慢したり
愛したり
自分をムチ打ち努力したりしている自意識は
それだけでは孤独だ


この孤独から逃れようと
褒められたり
愛されたり
報われたりすることを求めている


他者との調和だ


このような調和の中で
物事が受け渡され
予定されていた秩序が完成してゆく


設計された予定調和の流れのなかへ乗ろうと
個々の自意識が努力を重ねてゆく
そして
集団の大きな流れができてゆく


その流れの先に何があるのか?
わかっていても
わからずにいても
その創られた流れにのらなければ
自意識は取り残され
孤独に耐えなければならない


孤独には援助が届かない


何かに寄生しなければ生きてゆけない
そのことを
自意識は知っているのだろう
だから
自慢したり
愛したり
努力しているばかりでは
どこか満足できないようにできている


心臓も脳を愛し愛されているのだろう


右手も左手と相思相愛にあるのだろう


時に喧嘩もする
しかし
総じて仲良くしなければ
全体の流れが滞り腐ってしまう


このような調和を乱すものを
悪というのかもしれない


病原菌も
関係を断つ悪い思想も
都合が悪い悪となる


他者を求めたいのだ
その他者との関係を阻害する存在が
悪なのだ


ここでひとつ疑問がわいた
独我論には
悪は存在するのだろうか?
あるとすれば
どのような悪なのだろう

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