自己実現と自己評価の導き
自分はよい人だろうか?
周囲の自分への評価が気になることがある
これを気にして
したくてもできないことが山ほどあるし
したくないことを
さも、待ってましたとやることもある
このように
自分の価値を推し量る自己評価が
時として
自己実現を阻害する
しかしそれは
自己破壊を免れるための手段でもあるから
消極的な自己実現と表現もできよう
すれば
概して
自己評価は
自己実現のために行われているということになる
はたして、そうか
*
この自己評価の基準は
自らが持つ規範による
規範は知識であり
どのような知識を持つかにより
自己評価が変わって来る
異なる知識を持つ者の間では
規範の優劣が問題となる
文化の違いが
争いになる場面だ
自らが持つ知識と反する知識を
受け入れると
自己評価を大きく変えることになる
場合により
我慢して頑張ってきたことが無駄になる
だから
互いに譲れずに
争いになる
*
自らが順守してきた規範を
否定される場面では
自己を否定することになるので
受け入れがたい
だから
知識と知識の対峙において
その知識とは
直接関係のない自己実現・自己評価への思いが
議論を先鋭化させることになる
自分の価値を推し量りながら
自分の価値が上がるようにと
知識を応援する
知識が
生きるための知恵であるのだから
仕方ない
私はよい人だろうか?
知識に対して公平な
とてもよい人だろうか?