ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

超遠位感覚としてのSNS


五感がある


思考は前提として
まず
この奇跡に驚かなければならない


この奇跡がなければ
思考は今よりも
ずっと貧しいものであったろう


五感に飼いならされた思考は
今このようにある思考を
自画賛美しなければ始まらない



感覚は
2つに大別される


五感のうち
味覚と触覚は
近位感覚と呼ばれ
残る
視覚、聴覚、臭覚は
遠位感覚と呼ばれる


文字通り
近位感覚は
知覚の存在を知る感覚で
遠位感覚は
遠くの存在を知る感覚だ


目や耳や鼻といった
遠位感覚器により
近づきたいものを知覚し
近づきたいものに近づくときに役立つ
その後
安心して
手で触ったり
口に入れ味覚を味わったりする


逆に
避けたいものの存在を知覚した場合には
それから遠ざかり
直接触れたり
味わったりすることがないように行動することになる


このように
近づきたいものや
遠ざけたいものを
より遠くから知覚できるように
遠位感覚器が働いている


だから
遠位感覚器のほうが
近位感覚器よりも
嫌なもののを知覚することを許容しているところがある


嫌なものを
見たり聞いたり嗅いだりするのは嫌なことだが
そのようなものに
直接触れたり味わったりするよりも
よっぽどましと云う訳だ



スマートフォンの普及で
より遠くの人と交わることができるようになった


遠位感覚が届かないもっと向こうの世界と交信して
目や耳や鼻で走れない世界を知ることができるようになった


超遠位感覚の世界だ


近位より
遠位の方が
嫌いでも嫌われてもいい


遠位より
超遠位の方が
嫌いでも嫌われてもいい


だから
超遠位感覚の世界には
おおきな自由がある


自由を持つ者同士の間では
すれ違いはつきものだけれど
超遠位なら
すれ違っているなら
すれ違ったままでいい


嫌いなら嫌いなままでいい


超遠位の世界では
好きななろうとする努力が希薄になる


嫌われたら嫌われたままでいい


無理難題も要求できる


まあ
遠くにあるものは
遠くになるなりに
近くにあるものは
近くになるなりに
お付き合いしてゆくより仕方ない


それぞれに
良し悪しがあり
うまくバランスを取るより仕方ない


だからだろう
SNSでの交信と
現実に会った時で
ギャップが生まれる


このギャップを愉しむのも
感覚世界の楽しみだろう


こんなギャップを愉しめたのならば
まずは
五感とSNSがあるという奇跡に
驚き
感謝しなければならないだろう

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