ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

袋の中に「らしさ」を溜め込む


生命は
その生み出す刺激が
末広がりの反応の波を起こすことを約束されているかのように
刺激を生み出し続ける


その約束された未来を信じながら
それぞれの命が
それぞれの刺激を創生し続けている



樹木が年輪を刻んでいる


形成層は
きっと同じ反応を起こそうとしてるのだろうが
暖かな時期は反応の成果としての成長が早く
寒い時期はどうしても成長が遅くなり
この成長の差が
年輪の模様となって現れる


同じ反応の場としての形成層であっても
その成果は
晒される環境により異なるものになる


同じ努力を重ねても
報われやすい環境もあれば
報われがたい環境もある



命により創出された刺激が
末広がりの反応の連鎖を引き起こすこともあれば
尻つぼみの反応の連鎖しか起こさないこともある


刺激がきちんとした刺激として
末広がりの反応を引き起こしてゆくためには
その刺激に呼応する反応が起こる環境が必要だ


身体は
選りすぐられた反応の塊だ


身体の生み出す様々な刺激に呼応して
それぞれに対応する
これまた様々な反応の波を引き起こしてゆく
身体はそんな
選りすぐられた多彩な反応の塊だ


この反応の塊が
皮膚という皮でできた袋の中に入ることで
外界から遮断されている


遮断されることで
効率よく
反応の波が次から次へと伝播するのだ


笛吹けど踊らず、、、
そんな刺激は極力避けられた効率の良いシステムが
皮膚という袋の中で躍動している


笛吹けど踊らず、、、
それは袋の外でおこる現象だ


この袋の中では
そんな不遜な反応は
はなから排除されている


そんな排除の功績もあり
自由が制限された袋の中で
細胞が従順に役割をこなしている


こうして
小さな袋の中に
もっともっと
その生き物「らしさ」が充満してゆく


私という意識や袋の中で
私が私「らしさ」を充満させているように
一寸の虫も
彼の袋の中で
その虫らしさを充満させているのだろう


そして
袋の外に対しても
笛吹けど踊らず、、、という
無粋な刺激を送り続けているのだろう
いつの日か
無粋な刺激にも反応が訪れると信じて
懸命に無粋な刺激を送り続けているのだろう

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