ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

妄想と現実:矛盾する道程を設え得るということ


化学反応は
時間を要する過程だ


だから
化学反応が
次から次へと連鎖してゆくと
時間も流れてゆく


時間が流れ
反応が連鎖してゆくと
そこに道ができる


花火師は
様々な火薬を
花火玉の中心に
あるいは
花火玉の周辺に配置する


打ち上げられ
どの様に
どんな色の花火の花が咲き始め
どの様に
どんな色に変わりながら消えてゆくのかを
きちんと計算しながら
様々な火薬を
花火玉の中に仕込んでゆく


こうして
花火師により
花火玉の中に
花火の運命が仕込まれる


花が開き消えてゆく道程を
花火玉の中に設えてゆく


花火の中の火薬の配置は
現実の花火の設えであり
現実の花火ではない


しかし
この設えなくして
現実の花火は花開かない


設えられた配置に応じて
反応が次から次へと
時間軸に沿い進行し
花火が開き消えてゆく


設え


カタカナでいえば
セッティング


このセッティングは
時間の中で安定して存在しているが
一度動き始めると
次から次へと反応を連鎖してゆき
セッティングされていた道程を完徹させる


道程


カタカナでは
プロセス


プロセスには
セッティングと実践がある


実践


カタカナでは
プラクティス


生命活動は
プロセスの
セッティングとプラクティスの連続だ


再セッティングを含むプロセスが
卵の中にセッティングされており
それが
プラクティスされると
再び
再セッティングを含むプロセスをセッティングした卵が現れる


生命活動のプロセスは
セッティングの態様と
プラクティスの態様に分けて思考できるということだ


観念論はセッティングの態様に偏り
実践哲学はプラクティスの態様に偏りながら
思考を模索している


設え実践する


実践の結果から
設えの良否を逆算的に判断し
淘汰選択してゆくと
より良い設えと実践の道程が現れる


この逆算性が
経験論を思考させる


設えは
現実ではなく妄想だ


妄想の中で
経験論的逆算がなされ
現実における実践により
道程が洗練されてゆく


妄想なくして哲学なし


哲学の思考対象が道程である限り
現実と関係するが
現実そのものではない設えを
対象としなければならない


妄想が
世界に秩序をもたらし
妄想が
世界に破壊をもたらす


現実には両立しない設えが
矛盾なく存在できる


それゆえに
設えは
実践において秩序を築くが
両立しない設えが
同時に実践されると
破壊をもたらすことになる

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