構造と恒常:ジーキル博士とハイド氏
社会には
様々な構造が乱立している
どの構造に参加し
この構造から距離を置くのかは
個人の自由という建前となっている
さて
こうして乱立しているそれぞれの構造において
そこに関与しているものの間で役割分担がなされ
恒常性が維持されているのであるが
役割分担における男女差別が問題視され
社会活動における
男女差の解消が図られている
社会活動において
男らしさや
女らしさなど
どうでもよく
それぞれの社会構造の恒常のために
尽くせばよいという方向性が強調されている
極端に言えば
恋愛より
社会への貢献が大切な世の中になっているということである
こうした風潮もあり
少子化が進んでいる
個人よりも
社会貢献を重視することは
社会維持に取り重要なことではあるが
それを鵜呑みにしたばかりいては
個人は沈んでゆくばかりである
休日を恋しがるのは
こうした沈んでいる個人のルサンチマンなのだろう
ジーキル博士とハイド氏
公私の別を
どこまで厳格に実践すべきなのだろう
過ぎたるは及ばざるがごとしである
男同じ生き物生き物でもあるが
違う生き物でもある
男女差別もある程度は仕方ないと思うのは
昭和人の懐かしみということなのかと
思ってみたりする