ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

車のサイドミラーのカメラ化と独我論について

サイドミラーのない車が実用化した


見にくいところを
鏡で見る時代が終焉し
カメラで見る時代が到来してきた


車のフレームが邪魔して
斜め前方の視界が遮られることもあるから
この部分を補完してくれるカメラも欲しくなる


いずれ
運転席から見る前方の景色も横の景色も
カメラで見る時代になるかもしれない


鉄の塊の中で
肉眼では何も周りを見れないが
カメラの映像で
もれなく周辺の状況を見ることができる


そんな車が現れるかもしれない


このような車の運転は
独我論的世界の実践だ


映像に映った周囲の状況は
バーチャルであり現実ではないのかもしれない
それでもその映像を
現実と信じ運転して行くことになる


視覚聴覚がバーチャルではない
こう実感すのと同じ構造だ


私の身体はガンダムであり
私の意識はアムロである
そんな感じだ


アムロがガンダムと一体感の中にあるように

私も私の身体と一体感があるから

幸せでいられる


有難いことです


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メモ


神経の働きで
私の意識と私の身体がつながり
一体感を醸し出してくれているのだと思う


意識と身体の共役関係が崩壊すると
意識も身体も苦境に陥るだろう


身体が意識に反応してくれる
逆に
意識も身体に反応してくれる


感情や無意識
様々な存在が共役の循環軌道に厚みをつけてくれている


懐疑論は
このような循環の軌道をブロックする思考実験である


軌道を断ち切ったとき何が起こり
どのような秩序が崩壊するか?
これを思考する論だ


存在しているものを
不在にして
その存在価値を明確にする手法だ


秩序が流れる道筋がとぎれると
秩序が崩壊する


これはしごく当たり前の話だが
忘れていることが多い
だから
カメラでしか外を見られない鉄の箱の中で
上手くやっているさなかに
カメラの映像が途絶え
パニックに陥ったりすることになる


こんな状況に陥らない幸せを
大切にしたいものである

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