ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

悪も善もそれぞれが調和して存続する


ルパン三世は
捕まったとしても
また逃げなければ
銭形警部も生き甲斐をなくしてしまう
だから
この世から悪はなくならない
・・・というわけではないだろう


ゴキブリを悪として
殺虫剤を善として考えてみる


悪が栄えるのは
あくまでも悪がその生命力を発揮して
生き延び
生殖して子を増やし続けているからであり
殺虫剤たる善と密通しているわけではない


悪は悪としての調和した循環の中で系譜を紡ぎ
善は善としての調和した循環の中で系譜を紡いでいる
そして
それぞれの系譜が交わる場において
競争が生じている


このような系譜間の競争において
人間は
マンモスに勝利し
日本狼にも勝利して
完全なる勝利者の立場を築いてきた


人間は
あくまでも人間の立場を
尊重する生き物だ


私も
私を尊重する


はたしてどこまで、、、


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メモ


味方の見方と
敵の見方では
善悪が逆転する


本能の見方と
理性の見方の齟齬も
葛藤を産む


あの人の見方と
わたしの見方も違っていると
うまくいかない
だから
類が友を呼び
調和した関係が出来上がり
その関係が系譜的に存続してゆく


そのなかで
葛藤のある不協和があると
それが排除され
さらに洗練され
効率的に
系譜の拡大再生産の循環が駆動する


このようにして
善も悪もそれぞれの系譜を
純化して拡大ながら存続する


個人
家族
社会

会社
様々な系譜が
それぞれの個性を強調し
善悪が定義され
そのささやかな違いを
ぶつけ合い
それぞれの系譜を純化している


私の存在の本質は
そんなささやかな違いの強調にあるのではなく
人間らしさであり
動物らしさである
しかし
それが楽しみであるのだから
 「私はゴキブリなのか?
  はたまた殺虫剤なのか?
  やはり正義にちがいない」
などと思考したがる


たとえそれが
尾ひれや重箱の隅であっても
わずかな違いの争いの中で
私が正義になれると
とてもうれしい
これが
進化の原動力なのだろう



選ぶ権利を善としよう
選ばれる権利も善としよう


相思相愛ならばそれでよい
そうでない時は
報われない善がどちらかの善に現れる


仲間を選ぶ権利があり
仲間に選ばれる権利がある
この権利が対峙する局面は
寂しさが漂い
ときに熱情がコダマする


・・・調和が希求されよう
   大きな緩やかな仲間が希求されよう

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