ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

調和の力と自由の力


分業が成立するには
分業に参加する人が
それぞれの分担を全うし
全体が維持されてゆかなければならない


個々人が分担を全うすることは
全体保持のための必要条件であり
全体保持のための充分条件ではなくなる
つまり
個々人が分担を全うしても
生存が保障されるということではないということだ


運不運


どの全体に属するかで
生涯の保証は異なるものとなる


身体にも
様々な臓器があり
各臓器がその機能をまっとうして
はじめて
身体が身体として機能する


全体から外れた部品は
その部品の機能をいくら発揮したとしても
全体の中で発揮していた機能を
そのまま発揮できないだろう


噛み合うギアを失った
もう一つのギアは
空回りするしかないのだ



部分が自由に全体から離れては
全体にっとっても
それを構成する部分にとっても
不都合になる


自由を制限し
全体につなげ止める力としての調和の力が試される


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メモ


世界には
様々な全体が存在しているから
わたしも
様々な全体に属することになる
そして
それぞれの全体の中で
それぞれの分担を果たしている


ふじゅうぶんなこともあるのだろう
それでも
分担を担い
それぞれの全体のために私の自由を
自ら制御している


自由の力は
分担から離れてゆく力であり
現状維持という観点からすれば
ネガティブな力だ


全体の中で
今の分担を離れ
別の分担に移るための自由もあれば
その全体を離れ
別の全体に属するための自由もある


私の細胞には
私から離れ
あなたに属する自由がない
私が制限しているのだ


ところが
わたしの炭素原子には
あなたに属する自由がある
私には
炭素原子の自由の力を制御するに足る
調和の力がないらしい


代替性が高い存在は
自由であるということなのだろう


その存在がなくても
別の存在がその代りをする


大きな視点の中では
私もそんな代替物だ
しかし
細胞や炭素原子よりも
はるかに代替性が低い高尚な存在である


この自負が尊厳だ


この尊厳を保つために
私は維持されているのだろう
この自負をどれだけ維持していけるのか試すために
私は生きているのだろう

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