ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

主観と客観


主観のあるじが
主観世界の中心にずっしりと腰を落ち着け
理想と正義を語っている


あるじは
常にこの世界の中心に
自分が存在するために活動している
そして見事に
主観世界の中心に君臨している


主観による主観のための主観の活動


この主観の循環のなかで
主観世界が躍動している


こんな純粋主観世界が
上手く自己循環していれば
自己陶酔の世界で完結し
平穏なのだけれど
そこに
客観が入り込み
自己陶酔を打破し
場合によっては
主観の君臨を脅かす


主観の思い通りにいかないことがある場合には
客観が勢いがよく
主観はただただ
その客観の嵐が過ぎゆくのを待ちわびることになる


このような苦い経験を積むうちに
主観のあるじは
次第に客観を手なずけて
自分を守るために使えないかと考える


毒を持って毒を制するように
客観をもって客観を制する


そのために
主観を擁護する客観を育てる必要がある


主観の思いを実現するように
客観を利用するために
使い出がある客観を重用し
使い出のない客観をないがしろにして
主観世界の中に客観を配してゆく


客観は
多くの場合
隣接している主観世界からやって来る


だから
主観が手なずける客観は
隣接し深く係り合いのある主観と
次第に同じようなものになってくる


同じであれば
守りやすく
維持もしやすい
だから
使い出もある


言語も
道徳も
法律も
このように重用された客観であり
主観たちに選ばれた存在だ


主観世界が重なり合いできた集合体の中で
客観が熟成し
この熟成した客観がより使い出のある存在に進化してゆく


集合体が変われば
当然に
使い出が変わって来る


主観よりも立場の強い客観があれば
主観に応じて客観の価値が変わることもないのだろうが
客観よりも主観に価値がなくなると
主観世界が存続し難くなる


主観の死


主観が死んだでも
客観は他の主観により操られてゆくのだろう


ひとつの主観のために
客観が存在しない


いつのまにか
客観のために
主観が動き回っている


それでも満足できる主観が
客観の周りであるべき主観を演じながら
その循環を繰り返す

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