ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

しょせん言葉、されど言葉


人間には
人権が認められ
この人権の名のもとに
人間が保護されている


猫や犬には
当然、人権がない
人でないからだ
それで保護の手も手厚いとは限らない
猫や犬は
法律上は動産ということで
花瓶や本棚と同じ扱いということの様だ


どんなにかわいらしいペットも
動産というレッテルが貼られ
殺されてしまっても
器物損壊ということになるらしい


それでも
犬や猫はかわいがってくれる人がいるから
まだいい


豚や牛は
食料と呼ばれて
食べられてしまうし
イナゴや
毛虫ときたら
害虫というレッテルを貼られ
駆除される


コロナや
エボラなんかは
病原体と呼ばれ忌避される


何と呼ばれようと
それぞれに懸命に生きている


しかし人間の影響力の大きさだろうか
人間に何と呼ばれるかで
生き易さが随分と変わっている


何と呼ばれるのか?


何と呼ばれようが
しょせん言葉であり
私はわたしだ


聞く耳がなければ何が変わる訳ではないのだけれど
されど言葉
聞く耳がなくても
呼ばれようで大きく運命が変わってくる


そこで
人間は賢明にも
「こう呼ばれたい」などと夢を語り
それに向けて努力を重ねる


素晴らしい言葉を自分にかぶせてほしいのだ
それに
嫌な言葉をかぶせられないように努力する


結果として
人間は言葉一つに右往左往を繰り返す


この右往左往を恨めしく思う時があるのだろう
他人に対して
様々な言葉をかぶせてみたくなる


そうして
言葉が社会に充満する


くさい言葉が充満している場所もあれば
奇麗な言葉が充満した場所もできてくる


蓼食う虫も好き好き
様々な場所に
それぞの人が集まっては
また離れてゆく

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