ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

現象と構造:標準戦略による構造維持


標準体重や標準身長
血液検査の標準値


標準というものは
個々で定めるものでなく
個々を集合として扱った時の結果論である


標準から外れていると
異常ということになると
何とか標準に入りたいと努力をしたりする


身長はなんともならないところがあるが
体重なら食べる量を多くしたり少なくして
標準に入るように努力できるし
血液検査の異常の場合には
生活指導を受け
検査値の正常化を努力することになったりする


標準には
多くの人がそうであるという結果論でもあるが
多くの人がそれでうまくやっているという実績論でもある


実績論であるから
標準の中にいると安心できるということになる


標準であれば上手くやってゆけるのだ


こうした標準であることにより
上手くやってゆこうとする戦略を
標準戦略と呼ぶことが出来るだろう


実績戦略と呼ぶこともできよう


しかし
実績が忘れられても
その標準が保たれてゆくことが
往々にして見受けられるので
あえて
標準戦略と呼ぶ方が適切に思える


人間の行動の標準戦略の成果として
道徳や法律がある


慣習や
条件反射や
心の動きも
そんな標準戦略の賜物だろう


人間同士
同じ標準戦略の土俵の上に乗っているから
互いに理解しやすいが
人間の標準戦略と
ワニの標準戦略は共用していない部分があるので
互いに何を考えているのか
理解しがたいところがある


ただ
ワニの行動と
そのれによりどのような実績を残すか
この観察から
ワニの行動の合理性を考察し
ワニの行動の構造を理解することはできる


人間行動学は
人間をワニを見るように分析するが
人間は人間の心理も念頭に入れてしまい
これが行動学的解析のバイアスになりかねない


人間の恋愛行動の原因を
恋心と理解できるように
ワニの婚姻行動の原因を
ワニの恋心であると思っても
そうは言わないところが
行動学の奥ゆかしいところである


人間の恋心は理解可能であり
ワニの恋心は理解不可能であるというのが
世間一般の標準なのだけれど
人間の心理を除外して
人間の行動と
ワニの行動を比較することが
比較行動学における
正しい考察のやり方ということになる


これでは
世間一般の感覚とはずれることになるが
このずれを埋め合わせるのは
心理学や
神経生理学ということになる


言わるゆる五感の神経細胞の構造は
動物界で共通しているという


恋愛感情の神経生理学の明らかになれば
ワニの恋愛感情と
人間の恋愛感情を
同じ構造の理解の中で
比較できるようにもなるのだろう


科学は
感情を対象にする存在であり
感情を愉しむ存在でないから
味方も敵もなく
暖かくも冷たくもない存在ということだ


敵だ味方だと言い合いながら
スポーツ中継を愉しむのは
感情を対象とせず
感情に飲み込まれ
これを愉しめるからである


感情の起伏があるのは
感情に支配された主観的状況であり
客観的になれれば
感情に支配された現象ではなく
合理性を持って理性的に淡々と生きてゆくも可能だろう


しかし
それではつまらないので
感情の起伏を無意識に求めてしまい
感情に支配されながら
主観的に生きてゆくことになる


感情が築いている構造への帰属である

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