ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

対応世界:世界の創造とコギトについて


数字は
現実のなかで
数字として単独に存在していない


何かの物質と共存しているように見える


たとえば
「1」を
私にも
猫にも
コップにも重ね合わせることができるから
人間や猫やコップといった物質と数字は
互いに関連しあいながら存在しているように見える


私と猫とコップを数える時は
私を「1」
猫を「2」
コップを「3」としてみたり
私を「2」
猫を「1」
コップを「3」とすることもできる


物質と数字の関係は
自由自在で恣意的だ


物質は
必ずしも
数字の根拠にはなってもいない


数字は
人間が
物質に能動的に付与した属性であり
きっと
物質そのものからしたら
どうでもよい存在だ


猫にしてみたら
「1」でも「2」でも「3」でも
何でも良いのである


それでも
このような
恣意的な関係にある
物質と数字の関係に
法則を創り
対応関係を形成し
それを維持管理してゆくと
秩序ある世界がひろがるから
数字は便利なものとして普及している


たとえば
焼き印により
管理番号を付せられた牛は
ただの牛ではなく
管理された牛に昇格する


このようにして
数字や法則を付しながら
別次元の世界が
次々と形成されてゆく


既存の物質がその世界が創る渦の中へと
投げ込まれてゆくのだ


そして
その世界の規定にしたがい
対応世界として
世界の中の一部を描いてゆくことになる


身体の中でも
とある細胞は肝臓として
ある細胞は神経として機能している


何らかの方法で
番号が振られ
その番号に従った規則に従っているから
肝臓は肝臓として
神経は神経として
管理され秩序ある世界を築いている


対応する臓器に
それぞれ対応する機能が現れていてくれているから
身体全体がひとつになってくれている


私という意識も
そんな中から湧いてきた機能なのだろう


肝臓の細胞は
なぜ自分を肝臓と知っているのだろう?
神経の細胞は
なぜ自分を神経と知っているのだろう?


この答えの中に
私の意識の起源も見えてくるのだろう


改めて問いたい


私の意識は
なぜは私であることと知ることができているのだろう?


私の意識が
私であることを決めていないのだから
私の意識は
既に番号と機能を付さられた存在ということになるのだろう


きっと
私の意識も
肝臓の細胞が肝臓であることを教えてもらっているように
私であることを教えてもらっているに違いない

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