ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

覚醒から酩酊そして瞑想


酩酊は騒がしく下品
瞑想は凛として上品


そんな真逆な印象の言葉だが
どちらも意識の状態を表しているのだから
意識のどのような違いなのかを記述するうえでは
共通の概念とのかかわりが出てくる


「雑念」という概念がその一つに挙げられよう
酩酊は雑念だらけで
瞑想は雑念がない


さらに
雑念とは何ぞや?と考えると
それは「言葉の連鎖」
あるいは「言葉の喧騒」ではないかと思う


何かを目にすると
それを言葉に置き換え
それにまつわる欲望が言葉として想起され
それを否定するような香しい言葉を思い起こしたり
意識は言葉探しに忙しい


ある意味
覚醒しているときが一番忙しい
それが酩酊になると
言葉の連鎖が一部欠如し
しどろもどろのマダラとなる
その結果
抑制していたものが唐突に出現して
周辺に迷惑をかける失態も飛び出してしまう


抑制されていた言葉もそれを抑制する言葉も
瞑想に至っては清らかに鎮まっているから
穏やかな平穏が訪れるのだろう


呼吸に集中するのが
瞑想への入り口だと聞いたことがある
知覚から言葉への連鎖を遮断するための
一手かもしれない


意識の中で
言葉と言葉が空喧嘩をして疲れ果てる


そんな疲れを感じたら
呼吸だけ考え
言葉を忘れる時間を持ってみたらいかがだろうか


ーーーーー
メモ


言葉の喧騒の程度で考えると


覚醒>酩酊>瞑想


ということになるだろう


頭の中にある言葉の喧騒
たとえば
  ああしたいけれど
  こうしなければならず
  ああすることができない
  それでも
  ああしたいから
  どうすればよいか
  いっそのこと
  かくかくしかじかとなるように
  彼をああして
  彼女にこうして
  そうすればうまくいきそうだが
  こうなってしまうと
  もともこもないし、、、
このような言葉の喧騒は
覚醒しているときに一番華やかだ
それに疲れ
あるいはストレスとなったとき
酩酊を欲し
お酒を飲むのかもしれない


お酒を飲むと
少し言葉を忘れる


ろれつもまわらなかったりもする


良い言葉も悪い言葉も
まだらに忘れるから
失敗もあり成功もある


いっそのこと
ことばは災いの元であると割り切って
すべての言葉を捨てて瞑想に入る
そして
言葉を捨て去る時間を創れれば
心の疲れも癒されよう


言葉を捨ててみよう


語り得ぬ世界に
心が深まるに違いない


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