ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

人、猫に会う


自分すら
満足に飼えていない
・・・それなのに
   ペットも飼いたくなる


自分自身の世話も満足にできないのに
ペットの世話は充分にできるつもりになっているから
不思議だ
・・・しかしそれは
   きっと初めだけに違いない
   だが諦めてよいのか
   私は私だけのために生きる
   効率よく生きる
   無駄な事はしない
   それでいいのか?


自分だけのためには頑張れないけれど
自分以外の何かのためには頑張れることは多々ある
そう
駅伝の選手が言っていた


私は私の為にだけ生きているのではない


もしかしたら
猫を飼うために生まれたきたのかもしれない



私は
私を騙しながら生きている


たのしく騙せているのだろうか?


ーーーーー
メモ


ふと「やさしい」気持ちが訪れることがある


「やさいしい」気持ちではなくとも
「またこうしてこんな時を過ごしたい」
そう思うことがあると幸せだ


そんな時間が
自分だけで作れたらよいのだけれど
往々にして
一人ではかなわない


私を構成する細胞たちも
そう思いながら
他の細胞たちと寄り添って
仲良く生きているに違いない



歳をとると
猜疑心が強くなる
忘れてはいるけれど
懲りた経験がたくさんたくさんあるからなのか
余計な苦労を抱えぬように
「やさしい」気持ちを
あえて封印する


もうすこし
向こう見ずの若さがあれば
夢と希望と、そして苦労を
考えもなしに抱え込んでいたものを
猜疑心が邪魔をする


夢や希望よりも
苦労について
まず考えてしまうのだろう


つまらない思考だ


わかっていても
猜疑心が働き
わかったような理屈をつけて
現状維持を嗜好する



いかにも猜疑心が強そうな猫がいた
目があうと
「何かあったらすぐに逃げよう」
そう語るように身構えていた


私のよう猫である


こんな猫を飼うのは
御免蒙りたい



にげるより
とびむ気持ちを育てたい
もう一度・・・

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