人、猫に会う
自分すら
満足に飼えていない
・・・それなのに
ペットも飼いたくなる
自分自身の世話も満足にできないのに
ペットの世話は充分にできるつもりになっているから
不思議だ
・・・しかしそれは
きっと初めだけに違いない
だが諦めてよいのか
私は私だけのために生きる
効率よく生きる
無駄な事はしない
それでいいのか?
自分だけのためには頑張れないけれど
自分以外の何かのためには頑張れることは多々ある
そう
駅伝の選手が言っていた
私は私の為にだけ生きているのではない
もしかしたら
猫を飼うために生まれたきたのかもしれない
*
私は
私を騙しながら生きている
たのしく騙せているのだろうか?
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メモ
ふと「やさしい」気持ちが訪れることがある
「やさいしい」気持ちではなくとも
「またこうしてこんな時を過ごしたい」
そう思うことがあると幸せだ
そんな時間が
自分だけで作れたらよいのだけれど
往々にして
一人ではかなわない
私を構成する細胞たちも
そう思いながら
他の細胞たちと寄り添って
仲良く生きているに違いない
*
歳をとると
猜疑心が強くなる
忘れてはいるけれど
懲りた経験がたくさんたくさんあるからなのか
余計な苦労を抱えぬように
「やさしい」気持ちを
あえて封印する
もうすこし
向こう見ずの若さがあれば
夢と希望と、そして苦労を
考えもなしに抱え込んでいたものを
猜疑心が邪魔をする
夢や希望よりも
苦労について
まず考えてしまうのだろう
つまらない思考だ
わかっていても
猜疑心が働き
わかったような理屈をつけて
現状維持を嗜好する
*
いかにも猜疑心が強そうな猫がいた
目があうと
「何かあったらすぐに逃げよう」
そう語るように身構えていた
私のよう猫である
こんな猫を飼うのは
御免蒙りたい
*
にげるより
とびむ気持ちを育てたい
もう一度・・・