ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

自己保護 人間保護 自然保護


調和の範囲を
自分にすると
自己保護という状況を創り出すことができる


協和の範囲を広げてゆくと
家族保護
もっとひろげると
人間保護になり
さらに広げると
自然保護ということになる


保護の程度を高めると
保護ではなく飼育になる


自己飼育
家族飼育
人間飼育
自然飼育
ということになろうが
個人の力では
飼育しているというほどの貢献を
自分に対してすらできているとは
言い切れない
だから
飼育ではなく
保護のほうが良いのだろう


自分すら飼いきれない
そこで
調和が大切になる


だが
どこまでも広く
調和を進めたら
私はないがしろにされかねない
だから
私の近くで調和を濃くして
私の近くから
調和の恵みをたくさん受けたい


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メモ


自分を飼育しきれていないが
自分を懸命に保護している


そのために
調和を求め
調和を提供する


他人に対しても
自然に対しても
犬に対しても
猫に対しても
トキに対しても
牛に対しても
蠅蚊に対しても
程よい調和を模索する


他国に対しても
他宗教の人に対しても
他人種の人に対しても
AIに対しても
同様だ


ただ
調和への温度差が存在する


それぞれとの間の
調和への貢献度としての温度差に
様々ある


蠅に対しては
こちらからは氷点下であろうが
向こうからしてみれば
ありがたい存在なのだろう
寄ってくる
追い払っても寄ってくる


牛や豚は食物として
大変ありがたい存在である
彼らにしてみても
世話をしてくれる人類は
貴重な存在だ
そう思ってくれていれば幸いだ


様々な
互恵関係が秩序を維持している


考えようによれば
蠅も
「衛生に気をつけなさい」と
諭してくれている使者なのだろう
うるさがられるために使わされたのだ
私は蠅に保護されているという訳だ、、、


感謝をしてみれば
何かに気付くことがある
まず
感謝をしてみることである


感謝から始まる思考は柔らかい
遺恨から始まる思考は、、、
世知辛い
・・・相互保護から遠ざかるからである

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