ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

信心が身体を形成する


たくさんの筋肉が
私の体についている


指を一本一本
別々に動かしてみる
動いていない筋肉と
動いている筋肉がある


一緒に動く筋肉を
一つの筋肉として数えることにしてみれば
なにも解剖をしなくても
私の筋肉の数を数えることもできるはずだ
しかし
どの筋肉が動いているかを
なんとなくわかっているけれど
確知しているわけではない


私の脳みそは
足とか手とか指を動かしているかどうかを
認識するのは得意のようだけれど
どの筋肉が動いているのかどうかを認識するのは
不得手のようだ
ましてや
血管を流れている
一つ一つの赤血球の動きなど
知る由もないようだ


全体は
全体の維持に必要な概要を把握しようとけれど
それを形作るそれぞれの部分の働きには
どうも無頓着でいるようだ


社会も同じだ


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メモ


健康診断で
自分の検査結果に不満足なことがある
「そんなはずはない」


検査結果の数字は
脳みそに認識しきれていない
体のあれこれを反映させた統計だ
検査方法の微妙な違いで数字が変わる
だから
検査方法を統一しないと
過去と現在を
数字で比較できないことになる


そこで
そこにある統計や検査結果は
正しい数字が示されているのか?
そんな点検がなされることになる


そもそも
認識しがたいものを数字にしたものだ
数字を見ても
正しいかどうか、すぐわかるはずがない


私の赤血球たちは元気だろうか?
検査結果の数字がそれを表しているというが、、
本当か?


私の命の支えを点検は
検査の統計数字と
それを操る専門家を信じる心が必要だ
このような信心が培えるというのならば
私の身体は
私以外の何かのご加護により保持されている
そう信じることもできそうだ


直感的に把握できないものに対しては
信じながら語らなければならない


言葉も
表現と意味の関係を疑えば
何も語れない
遺伝子も
3つの塩基配列とアミノ酸の関係を疑えば
何も創れない


ある関係をひたすら信じ
保持する努力が
系譜を紡いできた


信じることにより得られる恩恵を求めるものにより
信じられた系譜を未来へと運び
その恩恵を保持し続けてきたのだ


私の身体もその恩恵からできている
こころのことではない
私の身体も信心からできていたのだ

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