ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

私の中の切磋琢磨


私の手は
考えていない
だから
私の手は
考えている私とは異なるものだ


同じように
私の内臓も
考えている私ではない


理性的ではない妄想は
考えている私ではあるが
理性的に考えている私ではない


このようなことを積み重ねてゆくと
私は
大きな私の中に存在する
小さな私の集合体と考えざるを得なくなる


大きな私という
全体主義思想のもとに集ってはいても
大筋賛成各論反対を主張する個別主義を展開する
様々な小さな私も集合体らしい


上手く字を書こうとするのだけれど
思うように手が動かない


出かけようとすると
おトイレに行きたくなってしまう


何をしていようとしていたのか
ふと忘れてしまう


あの人に対する態度と
この人に対する態度が著しく違う


私は
私以外の人や環境と向かい合っているばかりではなく
私の中の
ままならない小さな私と対峙している


この内なる自然たる私と対峙していると
私が私自身をうっとうしく思えてくる
そう
自分が自分につかれてしまうのだ


「まあ、こんなもんか」
そう自分を許さなければ
どうにも自分に疲れてしまう


寝ている時には
お互いに許し合っているか
意識がないからか
自分に対する疲れが少し取れるのだろう


どうも寝ている時には
小さな自分通しが
お互いを許し合っているのだろう


その分
起きている時には
きっちり切磋琢磨できるように
できているようだ


でも
ゆっくり
許し合うゆったりと時間も
起きている時にも味わいたいと夢想してみる

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