ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生贄という文化


功利主義によれば
少数の生贄により
大多数の幸福が満たされれば
それは正義にかなうことになる


持ちつ持たれつの自然界にあって
人間は搾取する側にだけいるというのは
虫の良い話であり
人間も人間以外の自然に奉仕しなければ
自然の中で
持続可能性が維持できない


そのために
人間も
犠牲を払わなければならないという考えが
生贄文化の背景にある


その犠牲を誰が負うのか?


その答えを
功利主義は生産性の低い人に求めたりする


そのためだろうか
人は人を評価する


高く評価したり
低く評価したりする


この評価は
評価基準で変わったりするから
いろいろな評価があらわれて
意見が分かれることになる

総合的に勘案して
評価するという文脈が現れる


平たく言えば
好き嫌いで評価するという原点に立ち返る


総合的評価に反論することは至極難しい
基準がはっきりしないところで議論しなければならないからだ
ある基準で反論できても
すぐに別の基準で反撃される


だから嫌われたくない
嫌われると
功利主義の犠牲になりやすい


嫌われたくない心理は
この功利主義的犠牲の論理を裏付けている


嫌われないためには
恨まれることはしない方がいい



命は
犠牲を払いながらも
あるいは犠牲になることから逃れながら
生き延る


この宿命を
人間も負っている


生命は
使い捨ての存在が
使い捨てられる前に
再生産されることにより維持されている泡沫だ


しかし
ただの使い捨ての存在ではない


使い始めて
使い終わるまで
それなりの時間がある


この時間のなかに
さらなる命を
たくさんたくさん吹き込めるのが
人間だ



生贄は
調子に乗り
繁栄を謳歌し過ぎた反動として現れる苦境への畏怖が
背景にあるのかもしれない


欲深い業が
禍をもたらす


生贄の替わりに
科学技術が
禍を鎮める役割を演じるようになってきた


生贄の儀式が
幾多の悲劇をも演出したように
科学技術も
幾多の悲劇を演出してゆくのであろう

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