ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

身体の内側で


身体の中心には
内臓がある
おへその内側の
大きな空間を
我が物顔で
内臓がうごめいている


でも
精神の中心はどこにあるだろう
  
内臓ではないらしい
内臓より外側の辺縁にあるのではないだろうか
と思われる


なせかといえば
身体と精神の間には齟齬が生ある
こうあるべしと思っても
おなかがなったり
おしっこやうんこをしたくなる


だから
お腹が減っても我慢をしたり
おしっこやうんこをしたくなっても
いがいがしながら我慢する


こんな時には
精神は
内臓はとても自由でわがままだと感じる


精神も
けっこう自由に
ああなればとか
こうなるはずだとか
考えたりするのだけれど
内臓の自由を戒めたりする


自由を欲したり戒めたり
精神は忙しい


だからなのだろう
概して
内臓は単純だけれど
精神は複雑だ


さっきまでイイとしてことを
ダメと言ったり
その逆もある


気ままだけれど
自由でもない


自由だけれど
気ままではない


なにもが良くて
なにもが悪かったりするから
精神は疲弊してゆくのだろう


それに対して
内臓は地道に実直だ


こんな内臓が
身体の中心に控えてくれているから
精神は
気ままに体の周辺を
ああでもないこうでもないと
くたくたになるまで
気ままを楽しんだり
規律を演じてみたりしているのだろう


そんな精神を尻目に
内臓はというと
身体の周辺には
自分以外の世界が広がっている
そんな世界との接点を持たず
のんきに
黙々と仕事をこなしている


こんな具合に
内臓は
精神が守ってくれていることを
どこまで理解しながら
お腹がすいたとか
うんこをしたいなどと
内臓は精神に向かってわがままをいうのだろう


そんな内臓と精神が
すれ違いながらも
向かい合い
助け合っていてくれているから
なんだか
ありがたい

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