ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

手慣れた阿呆への憧憬


私が生きていることを
私は支配していない


なぜ生きていられるのか
理解できていない
ただ
了解しているだけだ


生きていることは
結果オーライ
そのひとつひとつの
積み重ね


生きていることを理解もせずに
よくもまあ
ぬけぬけと
生きていられるものかと
不思議になる


意識が支配できていない
生きている主体のおかげ様だ


私の意識は
この偉大なる生きている主体に
ご奉仕するのがお仕事らしい


生きる主体から沸き上がる要求に答えるべく
身の回りの環境に配慮し
反応してゆくという手助けだ


生きる主体から自由になろうなどとは
おいそれと考えらてはいけない
意識だけで生きてはいられないからだ


意識だけが自由になって幸せになって
身体が嫉妬したら
意識はやりこめられてしまう
だから
分をわきまえ
生きている主体様が許してくださる範囲で
自由を楽しみ
生きる上で用もないようなことまでも
たまには考えてみたりする


立場の強い者に対しては
配慮をし続けなければならぬのだ
だから
目を盗み
楽しまなければならぬのだ


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メモ


生命は
踊る阿呆に
見る阿呆


それでも
手慣れた自動車運転がそうであるように
絶妙に生き延びる命たち


総じて
なんとなく生きている
そこを
さらに深く深く
より良いものをと
懸命に考えるから
疲れてしまう


人間の意識はかような因果な商売だ

だから面白いのかもしれない

だから美しいのかもしれない


ショーウィンドウに飾られるに至るには
懸命の努力の積み重ねがあってこそである


手慣れた阿呆が
美しく踊りを描く


ありがとうございます

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