ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:異性愛者と同性愛者


ある目標を達成するために
様々な実践を重ねてゆく必要がある


そんな状況の中で
必要なことを実践できないと
「障害がある」と評価されることになる


エベレスト登頂という目標達成のためには
足腰の強さだけではなく
薄い空気にも対応する力が必要だ


薄い空気に対応する能力がなければ
エベレスト登頂においては
障がい者ということになる


このような障がい者であっても
エベレスト登頂という目標を持たなければ
別段、障害を感じることなく
健常者として過ごすことができる


ネットニュースで
中国の教科書に「同性愛は精神疾患」と記載されている
という話題が載っていた


性愛の事々を目標とせずにいる分には
同性愛であっても障害はないはずではあるのだけれど
人間社会は性愛の事々であふれかえっているから
「同性愛は精神疾患」という考えもあるのだろう


トイレ
共同浴場
更衣室
様々な場面で
男女が区別されている


性愛の事々を
日常生活で全く意識しなければ
このような場所での男女の区別などしなくても
特段の支障もなく社会生活が営まれる


けれど
時と場所をわきまえずに
性愛の対象として人を眺めたり
逆に
人から眺められようとしたりするから
男女別々の場所が必要になる


人間の持つ性的アンテナが
「同性愛は精神疾患」というような考えを導き出しているということだ


疾患は直したい状況だから疾患と表現されることから考えると
同性愛も治療できたら良いという考えが背景にあるのだろう


先に述べたように
人間の性愛の事々から解放されれば
そんな治療も不要だろう


しかし
人間は人間に能動的反応をしてしまうようにできている


流行歌でも見られるように
性愛は一大関心事であり続けている


人は人を性愛の対象として見つめていたい
そして
その楽しみを
同性愛者は異性愛者により邪魔されたくなく
異性愛者は同性愛者に邪魔されたくないのである


同性愛であろうと異性愛であろうと
いろんなことに無関心でいるより
いろんなことに関心を持っている方が
生命として生き生きしている


生き生きしようとすればするほど
様々な障害も現れやすいのだから
障害にぶつかって苦しむのは
いたし方がない


恋は
なかなかかなわないけれど
懲りても懲りても
また恋に恋してみたくなるのだから
いたし方がない


たくさんできることがあると
たくさんできなくなることも出てきてしまうし
たくさんやりたいことがあれば
たくさん障害が現れてしまうリスクがある


人間は
万物の霊長ということで
多機能で複雑な生き物だ


なくて七癖


なにかどうか障害があることも
いたし方がないことなのだろう


だから
普通に憧れ
自分こそ典型的な普通だと威張ってみたりする

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