ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:自由と我慢と貢献と


身体には
とてもやんちゃなところがあって
「そんなことしちゃだめだ」と思っていても
意識の言うことなど聞かずに
勝手に
そんなことや
あんなことをしてしまったりしている


もっと背が高くなればいいと思っても
その通りにはならないし
体重は減ればいいと思っても
なかなか思い通りにはならない


お腹が減らなければ
何も食べなくても済むと考えても
お腹がすくし
トイレがない場所でも
トイレに駆け込みたくなってしまう


身体には
とてもやんちゃなところがあって
なかなか思い通りにならなくて困ってしまう


これは
意識の立場からの思考であって
身体からしてみれば
「意識なんてものがあって
 俺様の邪魔をしようとするけしからん」
ぐらいに思っているのだろう


身体には身体の自由があって
意識には意識の自由があるのだから
自由と自由が対峙しているのだから
互いに思うようにならないのも仕方がない


互いに我慢したりしながら
折り合いをつてゆく他はない


文句を言っていても仕方がない
共に生きているのだ


一体になり切れず
対峙しながらも
共に仲間として生きているのだ


私の右目と左目も
一体になり切れず
対峙しながらも
共に生きている


一体になって
まぜこぜになって
右目と左目の区別がなくなれば
右目の機能も
左目の機能も失い
それぞれの目の中の
水晶体と網膜も
一体となってまぜこぜになれば
失明してしまう


一体になるのではなく
共に生きるのだ


それぞれ独自の自由を主張しながら
自律的に機能を発揮して
共に生き
ともに進化を続けてゆく


そのようにしながら共進化を続けてきた


共進化の中で
自身の自由を主張するとともに
相手の自由を尊重して我慢を重ねてきた



ふと
耳が痒くなったので
指先をとがらせ耳を掻いた


自由と我慢だけではない
思いやりが大切だ


痒い耳のために
尽くし貢献することが
仲間としてとても大事なことだ


意識も身体も
互いに貢献しあい共進化してきたし
水晶体と網膜も同じだ


自由を尊重しあうだけでは何か足りない
貢献しあう何かを欲しあい共進化が続いて行く

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