ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:相互監視とSDGs


仲間であるのか?
それとも敵か?


人は人を評定する


これは
群れをつくる動物たちもしているごく普通のことで
群れの外の敵に対しては
容赦なく攻撃を仕掛ける


人間は理性的な生き物なので
人を評定したうえで
敵であっても
仲間のように仲良く振舞うこともできる


このような能力を
様々な道徳が勧めてくれている
たとえば
「パリサイの人を見習いなさい」
「外見で判断してはいけません」
「一寸の虫にも五分の魂」
といったものを挙げられる


逆に
この能力がある故に陥らされる誤謬への警句もある
たとえば
「巧言令色鮮し仁」
「本音は別のところにある」
もう一ひねりすると
「敵を欺くにはまず味方から」ということになる


単に人を評定するだけでなく
裏の裏まで考えたりしなければならないのが
理性的であるがゆえに
とても複雑になってしまったところだ


でも
満員電車のなかで接する人について
全員を評定したり裏の裏まで思考したりはしない


エネルギー効率を考えているのか
評定すべき人と
評定しなくても良い人を区別している


厳密に言えば
簡単な評定で済ませる人と
綿密な評定までする人を区別している


評定される側からすれば
簡単な評定で済まされてしまうと
「軽く見られた」あるいは
「自由にさせてもらっている」ということになるし
事細かに綿密に評定されれば
「重要人物として見られた」あるいは
「監視されてるようだ」ということにもなる


人は人に興味がある


社会に生きる人間にとって
社会が森であり
人間が恵みなのだから
人に細心の注意を払い
生き延びるのが
野生の思考と合致する


SDGsと言いながらも
地球に細心の注意を払うのではない
社会や
そこで暮らす人々に注意を払うのが
人間の野生というものなのだろう


地球の行く末より
ずるいことをしている隣人が気にかかる

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