ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

 動的秩序は規則的反応の調和的集合体。ルアーは反応をもたらす物質の最適化の象徴。情報の流れの中で規則と調和が繰り返えされる。

妄信がもたらす安心


車を走らせていると
「ああはなりたくない」
そう思わされる光景に遭遇することがある


最たるものは
交通事故である


いくら注意をしていても
自分もまきこまれる可能性がある


だから
というわけで
車の運転を止めるわけにもいかない


私以外の車を運転する方々を信じて
事故に巻き込まれないと思いながら
運転をすることになる


「もし対向車がこちらにはみ出してきたらどうするか?」
「交差点でこちらが青だからあちらは赤だけど突っ込んできたらどうしよう」
こんなことをいちいち考えていたら
車の運転など怖くてする気になれない


可能性があっても
めったにないことは「ない」と信じると決めて
腹をくくって運転しているのだ


だからこそ
交通事故の現場のわきを通ると
この信心が揺らぐことになる
そして
「安心できないぞ」
「気を付けよう」
そう思うことになる


人様を信じたり用心したりを
くりかえしているものだから
車を運転した後は
奇妙に心が疲弊してしまうのだろう


信じられる人が増えれば
心の負担が減るのだろうが
信じられる人になるには
気を使い心の負担が増えることになる
だから
心はそれなりに疲れる運命にあるのだろう


身体は動かすものであり
動かすと疲れる
同様に
心も動かすものであり

疲れる運命にあるのだろう


ーーーーーー
メモ


道端を
腰の曲がったお婆ちゃんが歩いていることがある


たいへんそうだ


「よく歩いているな」
「なにもそこまでして歩かなくてもいいじゃないか」
そう思えるような恰好をしている方に出会うこともある


年は取りたくないものだが
私も確実に年を取ってきている
今の私を
若々しい頃の私が見れば
「ああはなりたくないな」
そう思うのだろう


いや
むしろ
目にも入らないのかもしれない
目に入ったとしても
頭の中を素通りしてしまうのだろう


「こうなる」などと考えてもいなかったからだ


目につき
考えさせられることは
「自分にも起こり得る」
そう無意識に想定していることなのだろう


何が目につき
何が目につかないのか


何を信じ
何を信じていないのか


考えてみる機会があってもよいかもしれない



ありがとうございます









×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。