予定と実践:予定を実践に移す強さについて
水が氷になったり
氷が水になったりするという
存在の互換性は
可逆的で受動的である
どちら方向へも変化し
もっぱら温度次第のところがある
これに対して
生命の変化は
不可逆的で能動的である
卵がオタマジャクシになりカエルになる
このカエルが卵を産む
カエルがオタマジャクシになり
卵になることはなく
卵やオタマジャクシやカエルの中に備わった予定に基づいて
生命環を実践している
むろん
カエルも温度が高すぎれば干からびてしまうし
温度が低すぎれば凍り付き死んでしまう
しかし
オタマジャクシでいようと思えばいることができる環境に在りながら
オタマジャクシはあえて能動的にカエルになる
ただ生きるという点では
どちらでも良いのであるが
卵を産み子孫を残す
ということに関して言うと
オタマジャクシはカエルにならなければならない
そう予定されている
運命という存在が
卵やオタマジャクシやカエルの中で蠢いているのである
不可逆的にかつ能動的に蠢いているのである
水には
同じ環境に在りながら
たとえば25℃で
みずから氷になる能力がない
これに対して
オタマジャクシは
同じ環境に在りながら
カエルになる能力が備わっている
環境がもたらす
必然において
水は氷になるが
オタマジャクシは
自らが作り出す必然において
カエルになるのである
環境が決めるのではない
生命は自らが決めるのである
ただ
環境に振り回されてしまうところに
生命の自己決定権の欠缺がある
与えられた中で
予定を実践してゆく強さに限度があるからである
夢をかなえる強さである